『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『窓ぎわのトットちゃん』が“新しい戦前”のいま作られた意義
現在話題の二つのアニメ映画、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(古賀豪監督)と『窓ぎわのトットちゃん』(八鍬新之介監督)には大きな共通点がある。ともに日本が経験した悲惨な戦争を描いているところだ。(※以下、2作品のネタバレを含みます) 【写真】多くの観客が魅了されている「ゲゲ郎」こと鬼太郎の父
搾取の構造が描かれた『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
先に公開された『鬼太郎誕生』の舞台は昭和31年。帝国血液銀行に勤める水木という男が、哭倉村の龍賀一族を訪れるところから始まる。龍賀一族の屋敷で発生した連続殺人事件をめぐって物語は進むが、その根底にあるのは戦争である。 製薬事業で財を築き、政財界を牛耳る龍賀一族の富の源泉は、「M」という血液製剤だった。Mを飲んだ兵士は何日も飲まず食わずで戦い続けることができるため、日本は日清・日露戦争の時代からMを兵士に与え、大陸や南方への侵略時にも使用していた。Mは敗戦後も復興の原動力になり、今後の経済成長にも必要だと考えられている。Mとはおそらくメタンフェタミン(覚醒剤)の頭文字から採られているのだろう。戦時中から戦後にかけて「ヒロポン」という名で販売されており、軍隊や軍需工場などで使用されていた。 水木にも過酷な戦争の経験があった。南方の戦線にいた水木が目の当たりにしたのは、理不尽な玉砕命令(生き残ったら恥なので味方に殺害される)、玉砕命令だけ出して自分は逃げようとする上官、病気と飢餓に苦しんで犬死にしていく仲間たちの姿だった。これらの描写は、原作者・水木しげるの戦地での経験を描いた『総員玉砕せよ!』からの引用である。終戦後も故郷で酷い目に遭わされた水木は「戦場も故郷も関係ない。弱い者はいつも食い物にされるんだ」と言い、出世への野心を燃やしていた。 水木は幽霊族の生き残りで鬼太郎の父、通称「ゲゲ郎」と出会い、紆余曲折あってMの秘密にたどりつく。Mの原料は幽霊族の血だった。龍賀一族は陰陽師と結託して幽霊族を狩り、誘拐した人間に幽霊族の血を輸血して屍人にしてから、その血を精製してMを製造していたのだ。ゲゲ郎の妻も哭倉村の奥深くでMの原料になっていた。 『鬼太郎誕生』はファンタジーであり、幽霊族も龍賀一族もMも実在しない。だが、この作品がそれらを通して何を描こうとしていたかは明らかだ。近現代の日本で続けられてきた、強者の欲望のために弱い者が踏みにじられる搾取の構造である。 龍賀一族は田舎の古い因習に縛られた一族などではなく、近現代の日本のニーズにいち早く応えることで財を築いていた。非道な行為を繰り返していた龍賀一族の繁栄は、日本の戦争とその後の経済発展が、弱者、他者の犠牲の上に成り立っていたことを示している。醜い欲望にかられた龍賀一族の当主・時貞が、強力な家父長制のもとで一族の女性や子どもを搾取し続けていた構図とまったく同じだ。それは戦前から敗戦を経て、戦後になっても何も変わっていない。つまり、哭倉村は日本の縮図なのだ。水木が時貞に「ツケは払わなきゃなぁ!」と斧で切りかかるのは、自分も含む日本全てが行ってきたことに対して清算を求めていたのである。