『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『窓ぎわのトットちゃん』が“新しい戦前”のいま作られた意義
悪気なく異常な社会に加担する人々
それぞれの作品には、戦争以外にもテーマやメッセージがいくつも込められている。『鬼太郎』では立場の異なる男同士の友情が描かれ、『トットちゃん』では障がいや差別の問題と優しさと寛容さが描かれた。それでも両作品には、美しくも凛々しくも何ともない戦中、戦後の日本を描こうとする明確な意図があったように思う。その象徴が二つの桜だ。『鬼太郎誕生』では搾取される幽霊族の血で染まった真っ赤な血桜、『トットちゃん』では顔なじみの駅員さんがいつの間にか消えて大量の桜が散りゆく様子が描かれた。 もう一つの共通点は、悪気なく異常な社会に加担する人々が描かれていたことだ。『鬼太郎誕生』では、哭倉村の村人たちが龍賀一族の悪事に加担していたし(彼らも容赦なく狂骨に殺された)、異常な戦場には誰も異議を唱えることはできなかった。咳をしている子どもがいる列車で無遠慮に煙草を喫う人々だって悪気があったわけじゃない。そういう社会だったというだけだ。『トットちゃん』では、どこにでもいるような普通の庶民が、いつの間にか戦争に加担している様子がそこかしこで描かれていた。「のぞきからくり」に夢中になる憲兵も、普段はきっと気のいい人なのだろう。 『鬼太郎誕生』の古賀豪監督はラジオ番組のインタビューで「異常性の中にずっといると気がつかないのが一番怖い」「我々の日常も異常なのかもしれないという気持ちは常に持ち続けていた」と語っている(SBSラジオ『TOROアニメーション総研』12月18日)。一方、『トットちゃん』の八鍬新之介監督は「過去の日本人を、今の感覚で切って捨てるのではなくて、当時の感覚で捉え直してほしい」とした上で、「『どんな理由があっても、絶対に戦争しちゃいけない』という言葉だけが真実だと思っているんです」と言う。(※) 『鬼太郎誕生』はファンタジー、『トットちゃん』は事実に即した物語と大きく異なるが、それぞれのアプローチで「新しい戦前」とも言われる2023年に78年前の戦争を描き出そうとしたこと、そしてそれが多くの人に観られていることに大きな意義を感じる。それが今、日本で可能なのはアニメ映画ということなのだろう。 参照 ※ https://webnewtype.com/report/staff/entry-27935.html
大山くまお