別れを経験したアイドルが一年の終わりに感じること、世界最高峰の舞台で日本人スケーターが見せたもの…清司麗菜の#skatelife
アイドルにとって、一番つらいのは「忙しいこと」じゃなくて、「ヒマなこと」。仕事がないと不安になって、心がぐーっと沈み込んでしまう。仕事に行って、帰ってきて、SNSを更新して、寝る! シンプルだけど、健康的な毎日だったのかも。応援してくださる皆さんにとっても、充実した一年になっていたら嬉しいな。
後輩が夢を持つことに
今年はスケボーの仕事をたくさんいただいた。6月に全国のスケートボード施設を持つ自治体でつくる「全国スケートボード施設連絡協議会」のアンバサダーに就任してから、大阪や地元・新潟のイベントや大会に出演させてもらうことも増えた。
今年11月の世界最高峰のスケートボード・プロツアー「SLS TOKYO」。この連載の取材で参加するだけでもうれしかったのに、フジテレビさんの事前告知番組にも出させていただいて、大会当日はネット配信のフィールドリポートのお仕事までいただいた。
どの会場でも子どもやスケーターの方に声をかけてもらえるようになってきたし、少しずつスケートボード業界に恩返しができてきているのかな……なんて思ったり。今まで一生懸命頑張ってきて、よかったなぁと心から思う。
事務所のスタッフさんからも「自分が好きでやってきたことが仕事につながっていくことは本当にすごい。後輩たちが夢を持つことにもつながるよ」なんて言ってもらえた。全く意識していなかったけれど、知らず知らずのうちにそういう道ができていたのは、少し誇らしかった。
必要な時間
今では、いろんな人に声をかけてもらえてうれしいのだけれど、スケートボードを始めたばかりの時にはむしろ、「誰にも知られていない」ことが心地よかった。14歳から芸能界に飛び込んだ私は、常に誰かと何かを競っていなければならなかった。
スケートボードを始めたばっかりの頃、パークでは私のことを誰も知らなかった。仕事もなくて、時間ばかりあったからスケボーを滑っているとだんだんと友達が増えていった。アイドルとしてじゃなくてスケーターとしてみんな接してくれた。