沖縄戦で、米軍から陣地奪還を果たした大隊があった。奮戦むなしく兵士の9割は戦死。24歳の指揮官・伊東孝一は終戦直後から部下の遺族に宛てて「詫び状」を送り続ける。時は流れ、伊東から「遺族からの返信」の束を託されたジャーナリスト夫婦が、“送り主”へ手紙を返還するなかで目撃したものとは――。不朽の発掘実話 『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』(新潮社)
「樹の枝に見えたのは兵士たちの……」米軍の砲弾炸裂後に広がった地獄の光景 #戦争の記憶
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