中国が鳴り物入りで開いた3中全会は、壮大な「ゴミ時間」だった
<新政権の経済対策を話し合うはずの中国共産党の重要会議「3中全会」が一向に開かれず、開かれないことがニュースになる奇妙な状況が続いていた。先日ようやく開催に漕ぎつけたが、その内容は矛盾だらけ。習近平はどうすればいいか途方に暮れているようだ>
イソップ寓話に「山のお産」という話がある。巨大な山が産気づいてさんざんうめき声を上げていたが、産まれてきたのは小さなネズミ1匹だけだった、という話だ。7月15~18日に行われた中国共産党の重要会議「3中全会」(第20期中央委員会第3回全体会議)は、この寓話さながらの拍子抜けの結果に終わった。 中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は? 意図的に荘厳さを演出した3中全会は、共産党幹部370人を集めて、習近平国家主席を礼賛し、「習近平新時代」の輝かしさを高らかにうたい上げることを目的としていた。しかし、実際は空疎な会議だったと言わざるを得ない。中国の停滞を打開するような内容は見られなかった。 習の演説は、準備に7カ月を要した長大なものだったが、その中身は矛盾だらけだった。「改革」という言葉を148回も繰り返す一方で、国有企業強化を最優先課題と位置付けたり、「人民中心」を宣言した次の瞬間に、共産党を「核心」と呼んだりといった具合だ。習自身、どうすればいいか途方に暮れているのだろう。 もっとも、全てを習の責任とするのはフェアでない。例えば、中国の金融セクターを大混乱に陥れた地方政府の債務問題は、過去の最高指導者である江沢民と鄧小平が推し進めた1994年の財政制度改革が直接の原因だ。当時の政策により、中国は四半世紀にわたる好景気を謳歌し、鄧、江、胡錦濤という歴代指導者は「奇跡の経済成長」の時期に国の舵取り役を務めるという栄誉を手にしたが、習はその政策の代償を払う羽目になった。 しかし、習も重大な政策上の過ちを犯している。鄧は中国経済を急速に成長させるために、投資を極端に偏重する戦略を採用した。その結果、家計の最終消費支出がGDPに占める割合は53 %と、際立って少なくなっている。このような状態は長続きしない。中国はもっと早く、メキシコ、ブラジル、マレーシアなど、好調な中所得国を見習って、消費の割合を増やすべきだった(これらの国々では70~80%程度)。 ところが、習はGDP成長率を高めることに血道を上げ、国民生活に回る金を増やそうとしなかった。軍の強化、南シナ海への勢力拡大、「一帯一路」構想の推進、チベット自治区や新疆ウイグル自治区などの遠隔地への幹線道路や高速鉄道の建設に莫大な資金をつぎ込んできた。台湾海峡に全長130㌔の橋とトンネルを建設し、中国本土と台湾を結ぶ計画も打ち出している。これらは全て、習の飽くなき拡張主義的野望を満たすためのものである。 ■中国人の間で流行る自虐ワード「ゴミ時間」 習の好みだが、失敗が証明された毛沢東型発展モデルと、中途半端な鄧小平の改革モデルの間で中国は立ち往生している。それに加えて、西側諸国との関係冷却化も中国にとって痛手になっている。新型コロナ問題と、中国による大掛かりな浸透工作および知的財産権の侵害が明らかになったことを受けて、一時は友好的だった西側諸国が中国への敵対姿勢を強めているのだ。 中国国民の中には出口のない状況を感じ取り、自国の現状を「歴史的ゴミ時間」と表現する人たちが現れている。この「ゴミ時間」とは、スポーツの試合で挽回不能な大量リードを許してしまい、プレーヤーがやる気をなくし、観客も早々と帰路に就き、試合終了を待つだけの時間帯のことだ。この言葉を使う人たちは、中国の現体制に愛想を尽かしていると言えるだろう。 習は賢い人間だ。イソップの「山のお産」の話は聞いたことがないとしても、自分がやろうとしていることに、中国の停滞を打破する効果がないことは分かっているはずだ。7月の3中全会は壮大な「ゴミ時間」でしかなかったとみるべきだろう。
練乙錚(リアン・イーゼン、経済学者)