「鈴鹿8耐は二度と走らないと言ったのに、一晩寝たら考えが変わっていた」ヤマハ契約担当者・加藤晃久さん
8耐は、もう2度と走らない、身体中が痛くてたまらない
プロモーションをする上で、鈴鹿8耐に参戦してもらうことは不可欠でした。本人は鈴鹿8耐にはあまり興味がなかったように思います。それでも、鈴鹿300kmレースに単独参戦して一生懸命に取り組んでくれました。 鈴鹿8耐のピットをのぞくと「加藤さん、この車、ダメ。シフターがやりずらい」とブツブツ、文句ばっかり言っていた。「加藤さんはサイテー! まったくわかってない、シャーシがどうの、これも別のものを使った方がいい」って、やっぱり、私の顔を見ると「加藤さんはサイテー!」ってけちばっかりつけていて、どうなることかと心配しました。 ファクトリーマシンを用意できなかったので、文句も出るだろうと思っていましたが、これで頑張ってもらうしかないので、聞いてやることしかできませんでした。 ペアライダーは、オーストラリアスーパーバイクを走るジェイミー・スタファ―でした。計時予選では6番手で、トップ10トライアル(計時予選10番手までのライダーが、単独で鈴鹿サーキットをタイムアタックする)にも出場し、声援を浴びていました。9番グリッドを獲得して、決勝も9位でチェッカーを受けています。終わった後は「加藤さん、8耐はもう2度と走らないから。身体中が痛くてたまらない」と言っていました。 ですが、翌日に片付けがあり、サーキットで会うと「やっぱり、8耐って面白い。もう一回、走ってもいいかな」と…。一晩寝たら考えが変わってしまうんだと驚きながらも本当に面白い奴だなと…。ノリックを見ているのは、本当に楽しかった。 ノリックは、マイペース、自分の気持ちのままに動く、思いがすぐ言葉になる。裏表がなく、真っすぐで、そこが魅力だったと思います。
ノリックからのダメ出しで、ヤマハのバイクはよくなった
食事に行っても「ふざけないでください」とか「何を言っているんですか」って、私には文句ばっかり言っていた。顔を会わすと「「加藤さん、サイテー!」が口癖でした。それは、私には親しみを表す言葉のように聞こえていました。私とノリックの会話を、周りの人は笑って聞いていた。また、やっているよって感じでしたね。 文句ばっかり言っていたけど、それが、開発にはとても大事なことでした。ノリックの「バイクは感覚が大事なんだよ」というバイクへのダメ出しで、ヤマハのバイクが良くなった部分もあり、ノリックのスピードでマシンを走らせてくれたからこそ、わかることがたくさんあったと感謝しています。 事故のことは、WSBKに参戦していた中冨選手とフランスのマニクールにいて、お父さん(阿部光雄)から昼過ぎに「のりが死んじゃった」って泣きながら電話があって、すぐにホテルをチェックアウトして、シャルルドゴールの空港に向かって帰国しました。 ノリックの家には、ヤマハのスタッフも集まっていて、みんな泣いていました。葬儀の準備に追われて、自分は哀しんでいる時間がなかったように思います。誰もかれもがノリックの死を受け入れられずにいました。 ノリックは、全日本最終戦鈴鹿を走ることなく亡くなり、得意の鈴鹿を走りたかったのではないかと、今でも思います。
佐藤洋美