「本当の気持ち」を話せるだけで人は救われる 永平寺の禅僧が夜を徹して聞き取ったこと
人生に行き詰まった人たちはたびたび寺の門をたたく。禅僧・南直哉氏は永平寺に在籍時、死にきれずに訪ねてきた人の身の上話に付き合い、夜明けまでの12時間をともに過ごした。ただ話を聞くことが大きな展開を迎えることになったという。南氏の著書『新版 禅僧が教える 心がラクになる生き方』(アスコム)から一部を抜粋してエピソードを紹介する。 【写真】実は着物嫌いだったと告白した銀座の老舗呉服店店主はこちら *** 自分の状況を誰かに聞いてもらうと、 視野がスッと広がることがあります。 そんな話をできる相手が、 「心の生命線」になることもあるのです。 お互いの「理解」は合意された「誤解」だとはいえ、人は、誰かに話を聞いてもらうだけで救われることがあります。それを教えてくれたのは、永平寺時代の忘れがたい体験です。 ある夏の日、午後5時頃のことでした。 「ずぶ濡れで門前に座っている人がいるから見てきてほしい」と言われて行ってみると、確かに若い男性がびっしょり濡れた姿で座っていました。 事情を聞くと、死ぬつもりで永平寺の前にある川に飛び込んだが、死にきれなかったと言います。川といっても、膝上ほどの深さしかない小川です。人騒がせだと思いましたが、放っておくわけにもいきません。部屋に上げて私の作務衣を着せ、話を聞くことにしました。 男性は、中学生の頃から32歳となった今まで、ずっと引きこもってきたとのこと。臨床心理士や精神科医のもとには通っていましたが問題は解決せず、もう死ぬしかないと思い詰め「なんとなく」永平寺まで来たと言います。 引きこもった原因を尋ねると、小学校4、5年生のとき猛烈ないじめに遭ったことだと言いました。よくある話ですが、本人にとっては重大な話です。まずは話を聞くしかないだろうと、好きなように話をしてもらいました。しかし、いざ話が始まって驚きました。
いじめられたのは20年以上も前の話ですが、彼の時間は小学生の時点で止まっていたのです。記憶は鮮明で、一日どころか1時間単位で、彼は当時の出来事を語り出しました。 ■2時間のつもりが夜になり…… 当初私は、2時間もあれば話は終わるだろうと見積もっていました。しかし、2時間を過ぎた時点で、まだいじめが始まって2日目の出来事が終わりません。これは長丁場になると思いました。 午後10時になり、もう彼の気が済むまで話を聞くしかないと覚悟しました。永平寺では、午後9時に全館消灯です。遅くとも、10時までには就寝していなければなりません。上司に理由を話して許可をもらい、話を聞き続けました。 やがて夜が明け、朝の坐禅とお勤め(読経)が始まりました。事情を察した仲間の僧侶がお茶を運んでくれましたが、それまでトイレにも行かず、お茶も食べ物も口にせず、彼はせつせつと話し、私は聞き続けました。 朝になると、さすがに彼も疲れてきたようです。 「もう話すことはないの?」と尋ねると、しばらく「うーん」と悩んで「もうないです」と言いました。時計は、午前5時を指していました。 私が「この話、誰かにしたことあるの?」と聞くと、「初めてです」と言います。彼が通っていた医療機関では、診療は1時間と決まっていて、次の診療では、また最初から話をしなければならなかったのだそうです。 驚くべきことに、彼の胸の内をとことん聞いてくれる人間は、子ども時代から今まで、誰ひとりいなかったのです。私は言いました。 「君の話はわかった。とにかく今日は帰りなさい。死ぬことはいつでもできるから。とにかく帰って、それでも死にたいと思ったときは、僕に連絡しなさいよ。こう言ってはなんだけど、僕は君に12時間つき合ったのだから、それくらいの義理はあると思うよ」 「わかりました」と言う彼に、「これだけは約束だよ。死ぬ前に必ず来てね」と声をかけ、見送りました。 1カ月ほどして、男性から手紙が届きました。