《プライドを掲げて》我が道を極め続ける人たち 空羽ファティマ
そして、この《人間の幸福》という言葉と同じ匂いのする言葉を、宮沢賢治も「銀河鉄道の夜」の中で書いていたと気づいたのだ。 「天上に行けば幸せになれる」と信じている人たちにジョバンニは言う 《「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」(略)「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。 「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。》 ……迷いつつ前を向き求め続ける2人と、吉田寮が重なる。 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」という灯台守の言葉と朗読コンサートのチケット代を応援歌として捧げたい。 そして。亡くなった妹を想い賢治が書いたとされるこの不思議な優しさを持つ物語は、先日亡くなった谷川俊太郎さんが紡ぐ言葉となんか似てると思い調べてみたら……〈銀河鉄道の夜には、谷川版と校本全集版があり、校訂を行った谷川徹三さんは谷川俊太郎さんのお父さんで賢治が世に知られる重要な役割を果たした人〉だったのだ。 〈表向き、つねに万人に対して付き合いのいい谷川だが、自分の周りに見えないバリアのようなものがあって、そこから内に入ることを許さない。これは谷川に近づいた者誰もが感じたところだろう。その被害を受けた最大の人はおそらく谷川自身で、自分でも如何(いかん)ともなしがたいものだったのだろう。その結果、生涯3度の結婚にも失敗し、血族ともある種の距離があり、友人関係を築くこともむつかしい。詩人谷川俊太郎の詩に通底するテーマは愛だろうが、谷川自身は実人生で誰をも、たぶん自分自身をも愛したことがないのではないか〉と(谷川俊太郎という孤独 詩人・高橋睦郎2024年11月19日 日本経済新聞)。ありそうかもしれないなと頷(うなず)いた。だからこそ《言葉の職人》と自らを呼び、究極に人に寄り添う優しい言葉を紡げたのでは? 谷川俊太郎さんは「十二月」という詩に〈おかねでかえないものを わたしにください/てでさわれないものを わたしにください/めにみえないものを わたしにください/かみさま もしもあなたがいらっしゃるなら/ほんとのきもちを わたしにください/どんなにそれが くるしくても/わたしがみんなと いきていけるように〉と書いたが、賢治が「雨ニモマケズ」で「皆にデクノボーと呼ばれ/誉められもせず苦にもされず/そういう者に/私はなりたい」と、願ったのと似てる。 谷川さんは人間への優しさを持つ人だったが、でもだからいい人間関係をもてるか?は別もので、たいていの芸術家はその感性の鋭さ故に孤独だ。手に入らないからこそ、喉から手が出るように求め、それこそが芸術となる。詩、芸術、演技、ダンスとして実る。イバラに手を伸ばし血だらけになっても得られなかったその産物は血と涙で磨かれたものだからこそ人は心を打たれる。 そこが人間の摩訶不思議なところだから寮生たちは歩みを止めないでほしい。どんなに叩かれて非難されて世の中がみんな敵になっても。 それでも、求め続けるその想いこそが、京大生の歴史になり文化になり、宝になるのだから。そこは、もう理屈ではなく生きざまだ。 そして三浦春馬さんがそうだったように、亡くなったことで世間が注目し、その人の生き方、言葉、遺したものを、その人が生きていた時より、強く輝かせることが「死」というものの力なのだ。 “死を超えて生きる”もう一つの人生がここから始まる。 谷川俊太郎、宮沢賢治、三浦春馬……時代を超えて、人間道を極める魅力的な人たちが、今を生きる私たちに見せてくれる生きざまに、心からの賛辞を贈りたい。空羽(くう)ファティマ