伊那谷楽園紀行(19)「轟天号を追いかけて」面白がれる人たちが紡いだ唯一無二の除幕式
ただ、予報によれば夕方には風雨が強まるようだった。ぼくは自転車で走ることを断念して駅に向かった。それでも自信と脚力のある参加者は、ペダルを踏み田切駅へと走って行った。 ぼくが記念碑を見るのは、この日が初めてだった。 除幕式まで汚れを防ぐため、養生のブルーシートに包まれた記念碑は存外に大きかった。 除幕式の始まる午後3時。田切の住民達の用意してくれた、西瓜やトマトに舌鼓をうちながら空を眺めると、まだ雨の降る様子はなかった。空は次第に黒くなってきていたけれども、まだ雨粒が落ちてくる気配はなかった。ただ、風だけは次第に強くなってきていた。記念すべき除幕式が、こんな天気なのは、いったいどんな巡り合わせだろうか。参加者の誰もが、がっかりしてはいなかった。ぼくもそうなのだが「こんな記念の日は、一生忘れることがないだろうな」と、かえって楽しさすら感じていたのだ。 毎年、交通の便がよいとはいえない長野県南部まで、わざわざ自転車を担いでやってくる。その時点で、ぼくたちが「面白がり」を人生の糧にしていることは、間違いない。なにかトラブルがあっても、その時は落ち込むかも知れないが、いくらか時間が過ぎれば、すべて笑い話にしてしまう。そんな性格だから「伊那谷では、なんて面白いことをやっているんだ」と、集まることが苦にならない。 台風が迷惑な災害であるのは違いないけれども、そのトラブルも「滅多にない経験だ」と楽しみへと転化する楽天家。それが「轟天号を追いかけて」に毎年参加し、なにかと伊那谷へと足を運ぶ者たちのベースにあるものだった。
そんな参加者には、意図せず次々とネタが提供された。除幕式が近づいても、ブルーシートは巻かれたままだった。よく見る除幕式のように白い布で覆ったりするのではないか。牧田に聞いてみると、こんなことを言われた。 「確かにそうなんですけど、風も吹いていて飛ばされちゃうと思うんで……このままブルーシートを外します」 除幕式が始まった。飯島町長や聖徳寺の住職の挨拶を経て、音楽と共に碑が除幕された。 バサッと音を立てて、ブルーシートが外れて「アニメ聖地巡礼発祥の地」の文字が披露される……なんてことはなかった。 町長や住職は、よくある除幕式のように紐を引くジェスチャーをしてくれた。 ところが、実際に除幕式の日まで碑が汚れたり傷ついたりしないように、しっかりと養生しているブルーシートの紐は存外に固かった。牧田は紐を外そうと悪戦苦闘して、ついに台座に飛び乗って、結び目を外し始めた。 その光景に耐えきれず、大きな笑いが起こった。 そして、ようやく「アニメ聖地巡礼発祥の地」の文字が……とはならなかった。待機していた石材業者が、両手に真新しい雑巾を持ちササッと表面の汚れを拭き取った。 そして、今度こそ本当に「アニメ聖地巡礼発祥の地」の文字が一同に披露された。わき上がる拍手は、いつまでも鳴り止まなかった。 天気はギリギリまで持ちこたえた。雨が降り始めたのは、自転車で田切駅を出発した参加者の大半が、伊那市駅にゴールした頃だった。それまで持ちこたえていたからなのか、いきなり大粒の雨が降り始めた。雨に打たれながら、万歳三唱で参加者は揃ってずぶ濡れになっていたけど、誰もが晴れやかな笑顔だった。 台風は夜中のうちに通り過ぎ、翌日は朝から夏の青空が戻っていた。 田切駅には再び静けさが戻っていた。 昨日の賑わいが嘘のように人の姿はなかった。「アニメ聖地巡礼発祥の地」の記念碑は、ただただ静かに佇んでいた。 きっと、一年のうちのほとんどの日は、こんな静かな日なのだろう。でも、きっとネットやなにかで知って、この碑を見るために田切駅を訪問する人も出てくる。そうした人たちが、また伊那谷の魅力を知り、人に伝えていく。 伊那谷の楽しさを知る機会を得る人が増えたことにこそ、この碑の意味があるのではないか。いま、ぼくはそう思っている。 (ルポライター・昼間たかし)