伊那谷楽園紀行(19)「轟天号を追いかけて」面白がれる人たちが紡いだ唯一無二の除幕式
2018年7月27日。「轟天号を追いかけて」が翌日に迫った金曜日の朝、ぼくはスマートフォンで天気予報を確認しながら、考えあぐねていた。それは、ほかの参加者も同様だった。台風12号は、小笠原諸島の東にあって、予報円は見慣れぬ奇妙な方向を向いていた。何年に一度もない、日本列島の東から西へと台風が抜けていく予報。そのままだと、ちょうど自転車で走っている頃は暴風雨になるのではないかと思われた。 伊那谷楽園紀行 とてもじゃないが、自転車で走ることはできないだろう。参加者はFacebookページであれこれと書き連ねていたが、牧田はどうするか考えあぐねていた。 せっかくの除幕式を台風が直撃するのは不運な出来事だった。でも、むしろ参加者は、そのことになにか高揚していた。一筋縄ではことが運ばない。まさに『究極超人あ~る』のアニメで描かれた珍道中のようなものが起こっているようにも見えたからだ。 年に一度は走っている道とはいえ、決して道幅は広くない。それに、自転車のタイヤはよく滑る。怪我をしてはしようがないと思い、ぼくは早々と自転車を持参して参加することを断念した。 でも、最初から諦めムードで出かけるのも悔しくて、折りたたみ自転車だけは持っていくことにした。金曜日の午後。早々と週末の休暇に向かう人もいるのか、松本行きの特急あずさは混雑していた。上諏訪と岡谷で乗り換えて飯田線に入ると、伊那谷には青空が広がっていた。 「本当に、明日は台風が来て嵐になるのだろうか……」 もしかして、天気予報は白昼夢かなにかではないのかと思うくらいに空は晴れていた。
そんな空を見ていると、なんだか悔しくなって伊那市に入る前の無人駅で電車を降りて、少しばかり伊那谷のサイクリングを楽しんだ。伊那市に到着して、いつも立ち寄っている駅前の喫茶店・おかもとのドアを開けた。ここの店主もまた、伊那谷に魅せられて住むことを決めた人のひとりだ。 しばらくすると、既に到着しているいつもの参加者たちもやってきた。多くの味のある店が軒を連ねる伊那市だけど、決して広くはない。そして、泊まる宿も、だいたい一緒となれば楽しい連帯感が常にある。 「いや~、もう台風直撃だから走る気はないんだけど」 だけど、言い訳として自転車だけは持って来たのだ。ぼくが、そんなことを話すと、こんな人もいた。 「そうなんだ。自分は、もう自転車も持って来ていないよ」 いくらなんでも、やる気がなさ過ぎじゃないか。一同が笑うと、彼は真面目な顔をしていった。 「いやいや、何度も参加している人が率先して<天候不順で危ないから、出走は止める>といえば、みんな無理しないから……」 わざとらしくいっているように見えて、彼は真面目に語っていた。確かに「轟天号を追いかけて」は自己責任のイベント。これまでも、参加者がいくらかの怪我をするようなことも起こっていた。幸い、開催が危ぶまれるような事態は起こっていないが、そういうことが懸念される事故だけは避けたい。それは、誰もが思っていることだった。 夕方、前夜祭の会場の中華料理店に集まっても、まだ天気はよかった。朝の予報だと、そろそろ前線が近づいて雨が降り出している頃だった。ところが、次第に台風はスピードを落とし、伊那谷を避けるかのようなルートへと方向を変えていた。 なんと奇妙なことなのだろう。このこともまた、前夜祭の話題になった。 「明日の朝、決定して連絡をするようにします」 牧田は、なんとなく自信ありげだった。 翌朝、ぼくはホテルの部屋で目覚めると、すぐにスマホを手に取った。いつも参加者が交流しているFacebookページを開くと、牧田が予定通り開催することを記していた。