【実録 竜戦士たちの10・8】(13) 落合博満のFA宣言はテレビの生放送で…「このままぬるま湯につかっていてはいけない」
このオフ最大の”山”が、ついに動いたのは1993年11月7日の深夜のことだ。 もともと担当記者たちの間で、落合博満FA宣言の”Xデー”とみられていたのが7日だった。 東西対抗のあった宮崎で落合本人が明かした通り、今後の予定は東京に戻ったあと、すぐに秋季キャンプ地の沖縄入り。その後、日韓親善野球のため韓国に飛ぶという慌ただしさ。 FA宣言するなら15日までにコミッショナー事務局に文書で伝えねばならず、「東京に戻っているこのあたりが有力なのでは…」という予測だった。 では、どこでどのように?…。ドラ番たちに伝わってきたのが「テレビFA宣言」という驚きの情報だった。 番組はテレビ朝日系(愛知県はメ~テレ=当時は名古屋テレビ)のスポーツニュース番組『スポーツフロンティア』。当日朝刊のテレビ欄には「緊急生出演・落合博満・男の決断・胸中全告白」との見出しが掲載されていた。 午後11時30分過ぎ。番組の冒頭、いきなり深紅のスーツ姿の落合が登場。司会の板東英二が「決まりましたか?」と問いかけると、重々しい口調で「はい、決めました」と、まずひと言。さらに続けて「FA宣言します」と、お茶の間に生中継でFA権の行使を表明したのだ。 「40歳になって荒波に飛び込むことに悩みもしましたけど、スタジオに入るまでにハラを決めました」 宣言の手段にテレビを選んだ理由については「活字なら真意を曲げて伝えられることもあるけど、テレビの生番組ならそういうこともない」と答えた。 悩んだ末の結論だったと言い、「球界初の1億、2億、3億円プレーヤー。調停もやった人間が、FAに引っ込み思案でいいのかと考えた」と明かした。 さらに「それなりの恩恵を受けてきた中日に残り、スンナリと野球人生を終えてもいいが、このままぬるま湯につかっていてはいけないという気持ちが強かった」と、新たな挑戦への思いも口にした。 巨人の長嶋茂雄監督からラブコールを受けていることに「ありがたい」と笑みがこぼれたものの「中日を含めた全12球団の話をこれから聞きたい」と落合。それでも最後は遠くを見るような目で、こうつぶやいた。 「死んだオヤジの遺言で『おまえは巨人の選手じゃなきゃあだめだ』と言われた。天国のオヤジにいい報告をしたい」と。 =敬称略 (館林誠)
中日スポーツ