アボカドをモグモグの意外な理由…オリックス・吉田輝星インタビュー「突然の移籍通達で頭が真っ白に」
昨年11月に札幌市内で行われた、日本ハムの納会当日。早めに来るように言われた吉田輝星(こうせい)(23)は、個室に呼ばれ吉村浩・チーム統轄本部長から予想外のことを伝えられた。オリックス・黒木優太との交換トレードだ。吉田が振り返る。 【画像】すごい…!筋力アップで仕上がり順調! 吉田輝星 直撃インタビュー「素顔写真」 「本当にビックリしました。驚いて頭が真っ白に……。3日前に契約更改を終えたばかりでしたから。当初は実感が湧(わ)きませんでしたが、新天地では初心に戻ります。ゼロから再スタートするつもりで、オリックスの日本一に貢献したいです」 昨年は一軍登板わずか3試合と厳しいシーズンとなった。今オフには炭水化物を禁止し、アボカドや卵、牛肉中心の食事で体脂肪率を5%減らし13%に。この時期としては過去最速という148㎞/hを記録し、順調な仕上がりをみせている。オリックスでの初キャンプに参加する吉田が、これまでの苦悩と今季への意気込みを語った――(以下コメントは吉田)。 ’18年夏の″金農旋風″で甲子園のスターとなったのが、金足(かなあし)農業高3年生だった吉田だ。雪の中での走り込みなど厳しい練習を積み、速球の威力も増していた吉田は自信を深めていた。秋田県大会の開会式で中学時代のチームメイトに声をかけられると、こう言い返したという。 「日本一になるピッチャーに、よく話しかけられるな」 当時について吉田はこう語る。 「プロでいろいろ経験し謙虚になったつもりですが、当時はヤンチャでしたから……。試合では緊張したことがありません。お客さんが多ければ多いほど『まだまだ見せてやる』と、より注目されようと思っていたんです。相手が誰であろうと、『倒してやる』という強い気持ちで向かっていきました」 ◆「考えが甘かった」 甲子園の決勝で大阪桐蔭に敗れたが、県大会から一人で投げ抜き投じた球数は1517球。一躍、時の人となり’19年にドラフト1位指名を受け日ハムへ入団する。一軍デビューは6月12日の広島戦。吉田は5回1失点で、史上19人目の初登板初勝利を飾る。ところが――。 「直後にケガをしてしまったんです。周囲は『いきなり勝ってスゴいな』『さすが甲子園のスター』と褒(ほ)めてくれます。ボクも自信がありました。ケガさえ治れば、また一軍で活躍できるはずだ。先発で勝ち星を重ねられると。でも振り返れば、その考えが甘かったんです」 一度崩れた身体の調子は、なかなか戻らない。「早く一軍に戻りたい」と気持ちが先走り、焦りから自分を見失った。 「結果が出ない日が続き、徐々に追い込まれていきました。怠(なま)けるつもりはなくても、練習に身が入りません。何をどうすれば良いのかすら、わからない。もともと考え込むタイプではありませんでしたが、外食や外出もせず、精神的に余裕のない日々を送っていました」 転機は’22年春のキャンプ。元阪神の藤川球児氏からの忠告だ。低めに投げたいからといって重心を下げず、しっかりボールを上から叩き下ろすべきとアドバイスされた。その年、吉田は中継ぎ中心で51試合に登板し初めて一軍に定着した。 「藤川さんのアドバイスで、球が指にかかる感覚が取り戻せました。(1分間あたりの)ボールの回転数は2200ほどから2400ぐらいに上昇。崩れたフォームが修正され、プロでやっていくための光明が見えた感じでした」 しかし吉田は、再び調子を落としてしまう。前述した通り、昨年は3試合の登板で防御率9.00に終わった。 「コンディショニングの失敗です。前年に50試合以上登板したにもかかわらず、疲れを考慮せずうまくリカバリーができなかった。調子が悪いのも当然でした」 こうした反省から、吉田はオフに以前から通っていた鹿児島の鹿屋(かのや)体育大学の指導を受け、身体を鍛え直す。左足を踏み込む際に軸になる右足の力を抜く『抜重』の理論でフォーム修正。糖質を制限する『ケトジェニックダイエット』で、脂肪を2.5㎏落とした。 「ボクは太りやすい体質なんです。筋力がついて体重が増えるのは問題ありませんが、脂肪で増量すると身体のキレが落ちる。糖質制限などのおかげで、いつになく調子はいいですよ。先発でも中継ぎでも役割はこだわりません。年間通じて一軍に定着し、今までの自分を見返したい。今年こそ活躍したいです」 ファンを熱狂させた″金農旋風″から6年――。吉田が、新天地で輝きを取り戻そうとしている。 『FRIDAY』2024年3月15日号より
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