小学生で打球直撃「ボールが怖くなった」 腫れた顔面にトラウマ…事故が生んだ“スーパー捕手”
元西武の高木大成氏は「レオのプリンス」と呼ばれ10年間プレーした
「レオの貴公子」「レオのプリンス」の異名で西武ファンから親しまれた高木大成氏(株式会社埼玉西武ライオンズ事業部部長)は、神奈川の桐蔭学園時代に甲子園で活躍した。慶大でも輝かしい経歴を残し、1995年に西武を逆指名しドラフト1位で入団。10年間プレーした。絵に描いたようなエリートコースを歩んできたが、中学生時代には「忘れもしない」という“ミス”を犯すなど、苦い過去があったことをFull-Countのインタビューで明かした。 【動画】「こんな綺麗な人が…最高すぎる!」 熱すぎる西武愛が爆発した朝ドラ女優 東京・八王子市出身で、小学生時代は「八王子リトルリーグ」に所属。6年時には正捕手ながらも、エースが登板しない試合では、高木氏がマウンドに上がっていた。捕手の前は三塁を任されていたが、5年生頃のある出来事をきっかけに守れなくなったという。 「打球がイレギュラーバウンドして、眉間に当たったんです。骨折はしなかったけど、目の周りまで青く腫れてしまって。それ以来、ボールが怖くなって、内野手ができなくなってしまいました。それで捕手になったんです」 後に高校、大学でスーパー捕手として注目される存在になるが、ゴロへの恐怖心による配置転換が捕手としての“始まり”だった。しかし、中学で「八王子リトルシニアリーグ」に所属すると、今度は捕手すらもできなかった。「成長期で左膝が痛くなって、しゃがめなくなったんです。中学の頃はほとんどキャッチャーはやりませんでした」。 捕手ができずに投手、一塁、外野などを守ったが、ゴロへの恐怖心を払拭できたわけではなかった。「今思えば、ゴロを捕るべきポジションで捕れなかったから怖かったんだと思います。バウンドした打球が落ちてくるところや、ショートバウンドで捕ればいいものを、打球が跳ね上がってくる難しいところなど、捕り方を知らなかったからですよね」。持ち前の打力でチームの主軸ではあったが、「特に守るポジションがなかったという感じでした」と苦笑した。