「弟子にして!」16歳の少女がオーディションで異例の直談判「放送作家になりたかった」浜口順子がタレントになった訳
■倉本美津留さんからの教えを教訓として ── デビュー後の芸能活動はいかがでしたか? 浜口さん:ホリプロでは、とてもいい教育を受けさせていただき、恵まれた環境で芸能活動ができたと感じています。当時のマネージャーさんたちからは「マネージャーはつき人ではない」と日々言われていて、テレビ局への挨拶周りに同行することもしょっちゅう。厳しく教育されましたが、この経験から「私が番組に呼んでもらえている背景には、営業のために走り回っている人がいる」ということを直に学べましたし、「どうやって自分を売り込むか」も学ぶことができたように感じています。
── 放送作家の倉本さんとは、デビュー後も交流は続いたのでしょうか? 浜口さん:デビュー後3年間は、倉本さんの事務所に通い、オンエアをチェックしてもらっていました。倉本さんからは「常にアンテナを張ってネタを拾うこと」など、たくさんのアドバイスをいただきました。 なかでも印象に残っているのが「自分の背丈に合った目線を大切にする」ということ。私が標準語のイントネーションで話そうとすると、すごく怒られました。「『大阪生まれ大阪育ち』という目線を大切にしなさい。方言は直さず武器にしなさい」と言われたんです。
オーディション会場で「作家になりたい」と言った私をおもしろく感じたのも、「16歳の女子高生」だったから。「年代に合ったおもしろさがあるということを忘れないように」という教えは、今でも私の中の教訓になっています。 ── ホリプロと倉本さんとの出会いが、浜口さんの土台を築いてくれたのですね。 浜口さん:たくさんの教えが、今の私につながっています。芸能活動を続けるなかで、歌や演技などさまざまな仕事に触れる機会があり、自分の軸を腐らせなければ生きていけるということを学びました。
私の軸は、スカウトキャラバンを受けた年のテーマにもなっていた「美・笑・女」。バラエティを大切に、どこかに少しでも「笑」のエッセンスを入れることを意識していきたいです。 PROFILE 浜口順子さん はまぐち・じゅんこ。タレント。1985年大阪府生まれ。3歳に難病「若年性特発性関節炎」を発症し、約10年間の闘病生活を送る。16歳のときに、ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し、芸能界入り。2016年に結婚し、不妊治療を経て、2023年に第一子を出産。2022年に三重県に移住。現在は、ラジオパーソナリティーやニュース情報番組のMCなど、幅広く活躍中。 取材・文/佐藤有香 写真提供/浜口順子
佐藤有香