「弟子にして!」16歳の少女がオーディションで異例の直談判「放送作家になりたかった」浜口順子がタレントになった訳
高校生のころ「放送作家」に憧れていたという浜口順子さん。ある放送作家に「弟子入り」を志願したほど、その思いは強かったそうです。そんな浜口さんが、なぜタレントの道を歩み始めたのでしょうか。(全4回中の2回) 【写真】「これは合格」オーディションの履歴書に使った高校1年生の浜口順子さんの写真 ほか(全18枚)
■番組のエンドロールを見て「こんなテレビを作りたい」 ── 以前から放送作家に憧れていたそうですね。目指すようになった経緯を教えてください。 浜口さん:実は放送作家を志す前は「看護師」を目指していました。幼少期に難病指定を受けている「若年性特発性関節炎」を発症してから入退院を繰り返していたため、「小児病棟で働く看護師になって、同じ病気の子の気持ちに寄り添いたい」と考えていたんです。
高校1年生のときも、担任の先生に「看護師になりたい」と伝え、苦手な理系科目の補習授業をしてもらうなど毎日、猛勉強して頑張りました。しかし、進路を決めるためのテストは、理系科目のすべてが1桁台の点数で…。担任の先生から「理系の進路に進めば、今回のような勉強をずっと続けなければいけない。これだけ頑張ったのに結果が振るわないということは、看護師になるまでのプロセス自体、浜口さんには向いていないのかもしれないよ」と諭されました。
その後、先生とも相談して「国語が得意だから、文字を扱う職業を考えよう」ということになったんです。 ── 文系の進路に切り替えたということですね。 浜口さん:そうですね。しばらくは具体的な職業をイメージできずにいましたが、ある日、大好きなお笑い番組『吉本超合金』を観ていたとき「こういう番組を作る仕事がしたい!」とひらめいて。とはいえ、当時はインターネットが普及していない時代。テレビ番組を作るために、どのような職業を目指せばいいのかわかりませんでした。
──「放送作家」という職業をどのように知ったのですか? 浜口さん:番組の最後に流れるエンドロールに「放送作家」という文字が流れてきて。さらに『吉本超合金』に出演していたお笑いコンビのFUJIWARAさんが、現場にいた放送作家さんをカメラの前に引っ張り出すシーンがあり、「放送作家という職業がある」ということを知ったんです。