中村魁春『伊勢音頭恋寝刃』仲居万野 好きな男をとことんいじめる女【今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より】
秘めた片思いが万野をエスカレートさせる
── そしていよいよ貢の腰の物、青江下坂の刀を預かろうという場面になります。この時万野はもうすでに、阿波の侍たちから偽の刀とすり替えるよう、金を握らされて頼まれているわけですよね。 魁春 ここがちょっと複雑なところなんですよ。刀をかすめ取りたいのなら、貢にはここにずっといさせておいた方がいいのに、万野の個人的な気持ちとしてはお紺と貢の間に嫉妬しているので、貢に帰れ帰れとさんざん言ってしまう。でもここにきて本来の役目、刀をすり替えなきゃいけなかったという役目に立ち戻るのでしょうね。 ── でも貢は刀を万野に預けようとしない。ここの「もし貢さん、暑い時分じゃ。どうじゃぞいな」という台詞にしびれます。直接せかすのでもなく、とにかく暑いから、と。 魁春 貢がどうするか決めないのでね。暑いんだからさっさと決めてくれ、はっきりさせてくれと。預けないのなら帰ってくれと。万野からしたら、普段からよく言っている言葉かもしれません。しかし腹の黒い仲居ですよね(笑)。 ── 貢は扇を、万野は団扇を、ずっと扇ぎながら台詞をポンポンとやりあっていますね。 魁春 他に大した動きがないので、ちょっとしたしぐさも大事です。他の芸妓たちは花柄の団扇ですが、万野は役者絵の団扇を使うことが多いですね。シンプルな衣裳なので絵が引き立つと思います。万野が贔屓にしている役者かもしれませんね。 ── そこへ料理人の喜助が出てきて万野の代わりに貢の刀を預かることになりますが、万野は立って出ていくとき、暖簾の手前で喜助にツンというようなしぐさをします。 魁春 あれは人によってなさらない方もいますね。父がやっていたので私はするようにしています。あそこもなかなか難しいんですよ。しつこくやってもいけないし、色気があってはいけないし。 ── この引っ込む万野の後ろ姿に隙がないというか、神経が四方八方に行き届いているというか、海千山千の女だなという凄みを感じます。 魁春 この万野も若い頃はもっとスラーッとしていたのかもしれませんね。ここに居ついてしまって、いつのまにか人を差配する立場、仲居頭になってしまったんでしょうね。 ── 遊女お鹿に呼ばれて万野は再び貢のいる座敷に出てきます。三枚目だけど純情なお鹿は貢に惚れており、その貢から金の無心状を3度にわたって受け取り、そのつど金を貸したと。貢はそんなものは送っていないし金も受け取っていないと問答となります。その仲立ちをしたのが万野だったということで、再び呼ばれて出てくるわけです。 魁春 この忙しいのになんだろうと思いながら出ていくんですよね。自分が偽の無心状をお鹿に渡して金を横取りしていたことがばれそうになっているとは思わないので、出てきてびっくりします。あくまでお鹿にも貢にも、自分はそんなこと知らないという態度を取るけれど、本当のことが言えないので貢の方をまっすぐに見ることができません。でもごまかすことには慣れているので、その場で口から出まかせがどんどん出てくるんですよ。 ── その金を貢に段梯子で渡したとか、奥の座敷で渡したとか、よくもまあすらすらと出てくるものですよね。 魁春 万野もだんだんエスカレートしてきて、自分は潔白だと貫いて逆に貢を追い詰めていこうと思い立つんです。そしてこのときに初めて、この座敷にお紺もいることに気づくんです。「そうかお紺がいるのか。じゃあ貢にとって言われたくないことを言ってやろう」と。 ── 貢に対して「顔は美しいけど白似せ」(しらばくれること。とぼけること)だと言い放ち、団扇でつついたり。 魁春 こういうところ、万野はほんとに貢に勝手に片思いしてるんだなと思いますね。そうやってさんざん嫌がらせをする。このあたり実にうまく書かれていて、どなたのを拝見してもテンポがよくて面白いですよね。 ── そして貢とふたりでバーッタリで決まります。魁春さん、ここ、もうまばたきすらせずに強気全開で、貢と息もぴったりですね。 魁春 ここはツケも入るところで、決まった形をきちんとやらないといけないところです。その日にもよりますが、芝居の流れでまばたきしていないなんてこともあるでしょうね。とにかくいじめるのがこの役の眼目なのでね。しっかりいじめないと貢もやりにくいでしょうから。