【イチからわかる】マイナス金利解除で大規模金融緩和は転換点に…わかりやすく学ぶ「超低金利」の歴史と今後の課題
植田日銀が19日の金融政策決定会合でマイナス金利政策を解除したことで、2007年2月の利上げ以来、一貫して続いてきた「大規模緩和」は大きな転換点を迎えた。大規模緩和の歴史を改めて振り返り、今後の課題を探る。 【図解】日銀「マイナス金利解除」で……家計への影響は “悩ましい”住宅ローン、アナリスト「組むなら今の方が」 銀行預金どうなる?
■【2007年2月】前回の”最後の利上げ”…リーマンショックで頓挫
バブル崩壊以降、日本経済がデフレに突入して低迷する中、日銀は金融緩和によって経済と物価を回復させようと、もがいてきた。市場に供給するお金の量を増やす「量的緩和政策」など、当時としては異例の新しい政策を経て、2006年3月以降、2007年2月まで段階的に0.5%まで利上げしてきた。しかし、その後、アメリカで住宅バブルが崩壊し、2008年にはリーマンショックが起き、世界的に金融危機となる中で日本も再び景気が低迷。日銀の利上げ路線は頓挫した。
■【2013年4月】黒田総裁が「異次元緩和」開始
中央銀行は通常、政策金利を上げたり下げたりすることで市場に出回るお金の量を調節し、経済を活発化させてきた。しかし、政策金利がゼロになってしまえば、金利の調整によるコントロールは事実上、難しくなってしまう。 こうした中、2013年に総裁に就任した黒田東彦氏は、就任後初の金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」を導入した。日銀が長期国債を大量に購入し、市場に大量のお金を供給することを通じて、物価が下がり続けるデフレからの脱却や、景気の回復を目指した。黒田氏は、毎年2%物価が安定的に上がる経済状況(2%物価目標)を2年程度で達成するとの目標を掲げた。2014年10月には、国債の買い入れを通じた資金供給量をさらに増やし、景気を後押しすることを決定。しかし、2%物価目標を達成することはできなかった。
■【2016年1月】マイナス金利政策の導入決定…“複雑すぎる”金融政策へ
こうした状況を受け、日銀が2016年1月に導入を決めた「奇策」が、今回解除された「マイナス金利政策」の導入だ。これは銀行が日銀に持つ預金(日銀当座預金)の一定部分に-0.1%のマイナス金利を適用する政策だ。日銀にお金を預けても、利息を得られるどころか逆に預けすぎたら利息を取られる状況にすることで、銀行から世の中に出回るお金の量を増やし、個人や企業がお金を使いやすい環境にするのが狙いだった。しかし、短期金利とともに、長期金利も低下する事態となり、銀行の収益悪化や、年金基金、生命保険会社の運用難などの「副作用」が出てきた。そこで日銀は、2016年9月から「イールドカーブ・コントロール(YCC=長短金利操作)」という政策を導入し、長期金利を0%近辺にコントロールする手段に出た。 こうして、今回の金融政策決定会合で変更するまで続いた日銀の金融政策が出来上がった。しかし、さまざまな政策が組み合わさった政策は、日銀関係者ですら「複雑すぎる」と認める始末で、一般の人々が日銀の政策を理解するのは困難だった。