「東大理IIIに逆転合格」を引き寄せた賛否両論の数学攻略法
精神科医の和田秀樹さんは、かつて名門中になんとか入学するも周囲のレベルについていけず落ちこぼれでしたが、自ら勉強法を見直すことで成績が急騰、見事に東京大学理科三類に合格した経験を持ちます。 【データ】東大生の幼少期の習い事、1位が水泳、3位が野球。では2位は…? 指先と学力の見逃せない関係 後に自らの勉強法を著書『受験は要領』に著し大ベストセラーとなりましたが、そのなかで示された「数学は解かずに解答を暗記せよ」といういわゆる暗記数学は、当時の常識を覆し受験生や教育関係者から大いなる称賛と同時に批判も集めました。 現在は代表を務める「緑鐵受験指導ゼミナール」では毎年無名校から東大合格者を出すなど、受験指導でも結果を出す和田さんの核となった「暗記数学」とはどんなものでしょうか? またどうやった生まれたのでしょうか? ※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです
灘中に受かったものの、中学では劣等生に
私は幸いにして、小学校のころはずっと勉強のできる子どもで通しました。3年生のときにソロバンをやっていたのがよかったのか、計算がとても速くて正確でしたので、算数の試験ではいつも満点を取っているような子だったのです。 6年生のときに、中学校受験のための塾に入りましたが、そこでも算数の成績が非常によかったため、名門といわれる灘中を受けることにしました。不安もありましたが、受験塾の先生は、「灘中に入ったらトコロテン式に東大に入れる。だからいまはとにかく死に物狂いで勉強しろ。灘中に入ってから遊べ」と言っていましたので、私はその言葉を素直に信じて、必死に勉強をしました。いざ灘中を受けてみたら、五番で合格することができました。 ところが、灘中に入ってから、私は全然勉強をしなくなりました。受験塾の先生が言っていたことを本気で信じてしまって、「灘中に入りさえすれば、楽ができる」と思っていたのです。 成績はみるみるうちに下がりました。英語は、基礎がまったくできていませんでしたから、ビリのほう。得意だった数学ですら、中一の終わりには真ん中より下になっていました。小学校のときには算数の模擬テストで何度も西日本一番になったこともあったので、これは非常にショックでした。 もともと灘中にはできる子たちが集まっていますし、中一の段階で英語も数学も中三の教科書を終えてしまうような勢いの学校ですから、当たり前といえば当たり前です。 そんなときにハタとまわりを見渡してみると、親が東大出、京大出であるとか、親が医者であるとかいった子どもは、みな成績が上のほうでした。逆に、私のように親が必ずしも高学歴でない子どもは、みな下のほうだったのです。 それを見たときに、「小学校のときにはまぐれで勉強ができたのかもしれないけど、中学に入れば素質がモノをいうんだ」ということを私は感じました。「勉強は素質だ」と考え始めてしまうと、私の場合、両親とも学歴が高いとはいえないので、すっかり勉強をする気もなくなってしまいました。そんなことから、成績は下がる一方でした。