3歳で被爆「私にできること」 広島原爆死没者名簿に10万人の名前 40年近く記帳続けた被爆者の願い
8月6日の広島・原爆の日には、ことしも平和記念式典で原爆死没者名簿が納められました。この名簿の記帳を40年近く続けている被爆者がいます。これまでに記した名前はおよそ10万人。書き続ける思いを取材しました。 【写真を見る】3歳で被爆「私にできること」 広島原爆死没者名簿に10万人の名前 40年近く記帳続けた被爆者の願い 平和記念式典 会場アナウンス 「広島市原爆死没者名簿、奉納」 平和記念式典で毎年、奉納される「原爆死没者名簿」―。亡くなった被爆者の名前が記されています。 名簿に記されているのは79年前の原爆投下の当日や、それ以降に亡くなった被爆者の名前。新たなページには、去年の原爆の日からの1年間に死亡が確認された約5000人の被爆者の名前や年齢を書き加えていきます。 記帳する2人は、広島市の元職員。ともに被爆者です。 35回目の記帳 池亀和子 さん(82) 「これが供養と思って、一生懸命書いています」 ことしで35回目の記帳となる82歳の 池亀和子 さん。これまで約10万人の被爆者の名前を記帳してきました。 一人ひとりの被爆体験に思いを巡らせながら、名簿に向かいます。 池亀和子 さん 「多い時は1年間に3000ぐらい書きましたよ。母はとにかく書き出しの一番最初に書かせてもらった。その年の一番最初に」 両親や、友人たちの名前も記してきました。 池亀さんの孫 河津友梓朗 さん(31) 「誰にでもできることではないですし、また、それを続けていくのもなかなかできるものではないのかなと。集中力も気力も体力も使うことでしょうから。それはやはりすごいなと素直にそう思いますね」 原爆慰霊碑は、被爆から7年後に完成しました。もともとは被爆者の遺骨を納める案もありましたが、遺骨に代わって奉納されたのが死没者名簿でした。 記帳は代々、被爆者の広島市職員が受け持ってきました。 戦後、市の職員となった池亀さん。初めて記帳を担当したのは、43歳のときです。習字が得意だったことから上司に勧められたといいます。 1990年7月 池亀和子 さん(当時48) 「ただただ、冥福を祈る気持ちです」