核廃絶「より力強く訴える機会に」 「最も若い」胎内・幼少時被爆者 先達の思い胸に授賞式へ・ノーベル平和賞
ノーベル平和賞授賞式に出席する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表団には、母親の胎内にいる時や幼少期に被爆した「最も若い被爆者」も含まれる。 【ひと目でわかる】日本のノーベル賞受賞者 「より力強く核兵器廃絶を訴える機会にしたい」。運動を紡いできた先達の思いを胸に、授賞式に臨む。 事務局次長の一人、浜住治郎さん(78)=東京都稲城市=の母は、浜住さんを胎内に宿して3カ月の時、広島市で原爆に遭った。翌日、戻らない夫を捜しに行き、2日目にベルトや財布の金具、鍵を見つけた。夫が勤める会社は爆心地から約500メートル。遺骨は持ち帰れなかった。 浜住さんは父の享年と同じ49歳を迎えた際、姉や兄に「8月6日のことを教えてほしい」と手紙を書いた。あの日の父を知ることで、「自分は生まれる前から被爆者なんだ」と実感したという。 以来、同じように胎内被爆した人らと手記をまとめるなどしてきた。「母親のおなかの中にいても、小頭症などになる。若い細胞だからこそ、余計に傷つくという原爆の恐ろしさを知った。絶対に核は許されない」と語気を強める。 日本被団協の受賞決定以降、米をはじめとする核保有国も含む国内外から取材が殺到しているという。「原爆だけでなく、戦争もいけないということを広げていきたい」と力を込めた。 「被爆者の言葉が共感を生み、核を抑止してきた」。そう語る事務局次長、和田征子さん(81)=横浜市=は、長崎市で1歳の時に被爆し、約40年前から運動に携わってきた。「証言をすると、家族を失った当時に引き戻され、寝込む人もいた。その重さも感じてほしい」と訴える。 2015年に事務局次長となってからは、一緒に被爆した母が話していた「体験」を証言している。「若い人たちに、記憶がない私とあなたは一緒だと伝えたい。自分たちのやり方で核廃絶を広げてほしい」と期待を寄せる。 授賞式には、晴れ舞台を見ることなく先立った先達の思いを胸に臨む。「受賞がゴールではない。原爆の存在がどういうものだったのかを、力強く必死に伝えていく」。