日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」が“超名作になる予感”。戦後と現代日本を重ねる重厚な物語
本作は、そんな戦後の端島と現代の日本を重ねている。外国人観光客や労働者があふれ、多様性が叫ばれる社会になった現代日本だが、戦後と比べて生活は圧倒的に豊かで自由になった一方、長引く経済不況や不穏な世界情勢のなか、日々の生きづらさや閉塞感を感じる若者は多い。 社会の構成要素に共通性はあるが、そこに生きる人々の精神性は180度異なる。戦争を生き抜き、明日に向かって前だけを見て生きる端島の人々の姿を、現代の東京に生きる人々と対比する。そこから視聴者が何を感じるか。
当時の端島を現代日本の縮図として描き、炭鉱員とホスト、時代の空気など、それぞれの対比からいまを生きる若い世代をはじめとした日本人全体に対して、問いかけを放っている。 本作のもう1つの要素は、自身のアイデンティティにつながる出自や地元への“誇り”だ。 劇中で、端島から島外の大学へ進学した鉄平、賢将、百合子は、端島出身であることが侮蔑の対象になることを知り、悔し涙を流す。 父と兄が端島の炭鉱員である鉄平は「海の底より下の、地底の底で真っ黒になって炭を掘っている父も兄も、誰かに踏みつけられるために働いているんじゃない」。賢将も「日本を支えてきたのは石炭だ」と憤怒し、鉄平は大学卒業後に端島に戻って働くことを決意する。
また、大学卒業時に就職先を決めず、鉄平と端島へ里帰りしていた賢将も、炭鉱の取引先企業・社長の「たかが端島」という言葉を聞き流せず、やがて鉄平と同じく端島で仕事に就くことを決める。 そこには、個人の権利や自由ばかりを主張して、負うべき義務への意識が薄れている、多くの現代人に対するメッセージも込められているように感じる。 また、端島の職員クラブで女給として働くリナが、セクハラをはねのけたことで島を追われそうになったときに鉄平は「端島でリナが踏みつけられて悔しい」と自身が端島出身で馬鹿にされたこととも重なり憤った。それは島を愛するからこその、憤りでもあるのだろう。