弱者のはずだった「テレビ東京」が…元テレ東プロデューサーが絶好調の古巣にあえて苦言を呈する訳
この発案者は入社わずか3年目の若手ディレクターで、優勝作品に選ばれた『Raiken Nippon Hair』の制作者も同じく入社3年目の若手であった。「架空の国のクイズ番組」という奇抜な内容は、ネット上で大きな話題を集めた。 テレ東はもともと「負けて当たり前」といった弱者気質なので、「失敗することは恥ずかしくもないし、当たり前」という風潮があって、少々の失敗で大きく責められることはない。 再チャレンジが許される土壌があるというか、「またやってみたら」的なところがある。失敗した人をフォローするのが上手な人が多い。 視聴率が悪いと当事者は落ち込むが、「内容はよかったのに惜しかったね」とか「裏(環境)が厳しい中でよく健闘したよ」などと評価し、視聴率も内容もよくなければ「キャストはよかったのにね」とか「やる意義がある番組だった」と言ってくれる先輩が多い。「失敗」を誉めてくれるのだ。 ◆「何でもできる人が、たくさん必要だ」 三つ目の「少」、「人数が少ない」ということに関してだが、これは正直言ってかなり厳しい。放送しなければならない時間は、他局と同じだからである。それを半分の人数で埋めようとすると、単純に考えれば2倍働けばいいのではないかということになる。だが、それは現実的には無理だ。番組制作の「生命線」とも言える人材の不足は、テレビ局にとって極めて大きなハンデである。 そこで、テレ東はどうしたか? 「スペシャリスト」より「ゼネラリスト」を増やす、という戦略に出たのである。ある分野に抜きん出た専門家を育てることは理想かもしれないが、その理想を捨て、「何でもできる人が、たくさん必要だ」と考えたのだ。 これは経営学的な観点から見れば、実に妥当だ。専門性が高くなるほどひとつの企画にじっくり時間をかける傾向がある。そうした人材ばかりになると、どうしても効率は下がってしまう。人数が少ない場合、「どうすれば効率よくコンテンツを生み出してゆけるか」を考えないと放送事業をまっとうすることはできない。 スペシャリストは、番組制作においては「ディレクター」を指し、ゼネラリストは「プロデューサー」の役割を担う。テレ東では、他局よりプロデューサーが多い。同時に、社員が少ない分、番組制作を制作会社などの社外のスタッフに助けてもらっている。 ◆テレ東だけがいつもアニメやレギュラー番組をやっている裏事情 社員数が少ないという事情は、放送局として大きな犠牲を伴った。例えば、テレ東はワイドショーをあきらめた。他局には必ずある午前帯と午後帯のワイドショーを制作するためには、たくさんの人と時間、そしてカネがかかる。だから、今でもテレ東にはワイドショーがない。 テレ東を辞めたいまでも、よく「テレ東さんは独自路線で素晴らしいですね」と言われることがある。すべての局が一斉に追いかける大ニュースがあったときにも、テレ東だけが平然とアニメやレギュラー番組をやっているという現象を指しているのだ。「痛快だ」と誉めてくれているのだろうが、これにも社員数が関係している。各局がしのぎを削るような事件が勃発したとき、あえてテレ東はそこには入り込まないという方針を貫いている。クリエイター個人としては使命感や競争心に駆られることもあるが、そこに人員を割く余裕はテレ東にはない。