「見せましょう、日本の底力、絆を」 宣誓球児がつかんだ教壇の道
第93回選抜高校野球大会の開幕を告げる選手宣誓。東日本大震災から10年という節目の今年は、開会式で被災地・宮城の代表である仙台育英の島貫丞主将(3年)が行う。そんな選手宣誓を特別な思いで捉えているのが、震災翌年の2012年に行われた第84回大会で選手宣誓した宮城・石巻工の主将だった阿部翔人さん(26)=石巻市=だ。「震災から節目の年に、宮城の学校から宣誓する主将が選ばれるとは……。不思議な感じがしています」と感慨に浸っている。 ◇「直すところのない」思い 阿部さんは「あっという間の10年でした」と振り返る。震災発生時は学校で練習中だった。津波から逃れるため校舎の上層階に避難し、恐怖と寒さに耐えながら校内で一夜を過ごした。野球道具のほとんどが流され、自宅が全壊した阿部さんをはじめ、多くの部員が被災した。 水が引いたグラウンドには大量のヘドロが残され、「また野球ができるようになるとは思わなかった」。仲間たちと何日もかけて泥をかき出した。支援物資として野球道具が届き、4月から練習を再開。夏の宮城大会の開会式では「あきらめない街・石巻‼ その力に俺たちはなる‼」と書かれた横断幕を掲げて行進し、話題となった。 新チームでは逆境にも耐え抜いた精神力を生かして、秋の宮城大会を粘り強く戦い抜き、東北大会に進出。21世紀枠でセンバツ切符を手にした。抽選会で選手宣誓のくじを引き当て、「まさか自分が、と頭が真っ白になった」が、すぐに覚悟を決めた。「選手宣誓に支援への感謝を込めよう。自分には被災地を代表して伝える使命がある」 抽選会の夜、仲間とともに宣誓文を考えた。ホワイトボードにそれぞれの思いや訴えを書き出し、すりあわせていった。松本嘉次監督(現・宮城県高校野球連盟理事長)も「直すところがほとんどなかった」という出来栄えだった。 迎えた3月21日の開会式、大観衆の前で堂々と宣誓した。 「東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。 人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。 しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います」 被災当時、先がまったく見えなかった。それでも、目の前のことに必死で取り組んだ結果、夢だった甲子園にたどりついたことを伝えたかった。「二度と味わいたくはないですが、震災を経験したからこそ考え出せた宣誓でした」 試合は1回戦負けだったが、「甲子園のおかげで人生が変わった。プレッシャーや被災地の重みを感じながらプレーした時間の素晴らしさは言葉にできない」。最も心に残っているのは、意外にも試合後の出来事だ。グラウンドから引き揚げようとすると、スタンドにいた見知らぬ男性から声をかけられた。 「ありがとう」 それまでは普通の生活さえままならず、苦しいことばかりだったが、男性の感謝の言葉を聞いた途端、「報われた。あきらめずに野球をやってきて良かった」と心から思えた。 ◇震災から10年「こんなことあるんだ」 卒業後は「高校教師になって、野球の指導者として甲子園に立ちたい」と日体大に進学した阿部さん。大学卒業後は地元・宮城に戻り、臨時講師として働きながら宮城県教育委員会の教員採用試験を受け続けてきた。そして今年度、5度目の挑戦で合格を手にし「やっとスタートラインに立てた」と意気込む。 今年のセンバツの選手宣誓に仙台育英・島貫主将が選ばれた後、当時の監督だった松本理事長と食事をする機会があり、「震災からもう10年。こんなことがあるんですね」と互いに語り合った。開会式での選手宣誓は、地元からテレビで見届ける。「震災のことや経験など、いろいろな思いが島貫君にはあると思う。それを率直に伝えてほしい」と、温かく見守っている。【岸本悠】 ◇全31試合を動画中継 公式サイト「センバツLIVE!」では、大会期間中、全31試合を中継します(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2021)。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/senbatsu/)でも展開します。