中1で心の病→不登校「壊れたら終わり」 どん底からプロへ…伝えたい壮絶過去【インタビュー】
中島大嘉が今伝えたいメッセージ「学校も行きたくなかったら休んでいい」
北海道コンサドーレ札幌から水戸ホーリーホックへの期限付き移籍を終えたFW中島大嘉が、うつ病で苦しんだ中学時代を明かした。壮絶な経験を経てプロサッカー選手になった今、伝えたい言葉。取材のなかで「それを1番話したいです」と自ら切り出した。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全4回の3回目) 【写真】「これは反則」中島大嘉、“KPOPスター風”散髪&髪染め ◇ ◇ ◇ 「俺って変じゃないですか。小学校の時からちょっとなんか違うなと思っていたんですよ。そういうので組織に馴染めないみたいなのもあって、思春期で家庭環境とかも色々あって、中1の終わりくらいにうつになりました。そこから中3の6月くらいまでは基本的に引きこもっていたんです」 大阪で生まれ育った中島は、長崎・国見高校を経て2021年に札幌へ加入。188センチ、88キロの恵まれた体格とスピードを生かし、新星として大きな注目を集めた。4年目の今季は藤枝MYFCを経て、7月に水戸へ期限付き移籍。リーグ戦13試合に出場して4ゴールと結果を残し、将来を期待される逸材の1人だ。 明るいキャラクターでファンからも愛される22歳だが、中2のときに学校に行くことができたのは、おぼろげな記憶ながら1週間ほどだという。「マジでその時の記憶があまりないんですよ。正直きつすぎて。1番やばい時はもうそれこそ本当に死のうと思っていて。でも死ぬ気力すらない」と辛い記憶を辿る。 「今を惰性でずっと生きているみたいで、明日を語れたら調子がいい。明日を想像するのも嫌なくらい無気力で、学校に行こうと思っても朝起きたら身体が動かない。死に方を調べても、実行する気力もない。その時にお母さんがずっと支えてくれた。だからお母さんに一生かけて親孝行しないといけないんです」 そのような状況のまま中3の6月、進路相談の時期を迎える。「自分の中で、このまま死ぬか生きるかの2択。生きるならじゃあどうやって生きていくんだ俺はって。サラリーマンは俺には無理だ、サッカーするしかないかって」。その後、1週間行って2週間休んだりと、少しずつ学校に行けるようになっていった。 当然、出席日数も足りずに推薦も厳しい状況だったが、国見高校からの誘いがあって入学。高1までは欠席も多かったが、高2からはそれも無くなっていったという。そして高3の8月には札幌に内定し、プロへの切符を掴む。では、なぜ中島はどん底から抜け出すことができたのか。母とサッカーへの感謝を語った。 「4人兄弟の長男なんですけど、たぶんお金とかも無かったと思うんです。でも子どもたちにはそれを見せないで、強くいてくれた。俺はこの人を守らないといけないと思ったし、死ぬのが怖いのもあったかもしれないです。あとはサッカーで成功したい思いは昔からずっとあったので、助けられたんですかね。 もしサッカーやっていなかったらどうなっていたんですかね。もう死んでいたんじゃないですか。たぶん自分が生きるって思えたきっかけが(ズラタン・)イブラヒモビッチなんですよ。プレー集とか、色々な言葉とか、生き方とかを見て、かっこいいなと思って。それがたぶん俺の心を少し動かしたんですよ」 そのような経験を経て、今苦しんでいる子どもたちに贈りたい言葉は「適当に頑張る」だと語る。「適当に生きるのはめっちゃ大事だと思っていて。心が壊れたら終わりなので、心が壊れる前に逃げる」。プロになった今、サッカースクールや地域のイベントなどにも積極的に参加し、この言葉を伝えている。 「学校も行きたくなかったら休んでいい。サッカーとか習い事とかも、やりたくないならば休んでいい。それってマジで大事だと思っていて。頑張ることが正義じゃないですか、頑張っているやつは偉いみたいな。俺はそれで苦しむ人がいっぱいいると思う。生きることの大切さを、色々な人に伝えたいですね」 中島の夢は、母を幸せにすることとサッカーで1番になること。そしてもう1つの原動力が、かつての自分を救ってくれた元スウェーデン代表FWイブラヒモビッチ氏のような存在になること。「誰かが今日、明日を生きようと少しでも思えるきっかけになりたい」。そう語る眼差しからは、強い決意が感じられた。
FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo