「東大を地方移転させる」――自民党・河野太郎は「田中角栄の悲願」を実現できるか
移転先は「富士山の裾野?」
翌1965年、佐藤栄作内閣でも蔵相に留任した田中は、学校の地方移転に国からの借入金を認める国立学校特別会計法改正案の国会提出の際、記者会見で「東京大学移転の機が熟した」と語った。田中は、大河内一男東大総長が文部大臣を訪ねて移転賛成の意思を示したこと(愛知揆一文相は「“移転のムード”だけはできた」と発言)、すでに山梨県では富士山の裾野3300万平方メートルに東大を誘致する動きがあることを示し、本郷は医学部だけ残して総合医療センターにするべき、などと語った(『読売新聞』『朝日新聞』1965年2月2日)。 実のところ東大側は、過密解消を目的とした移転には反対であり、全面移転も考えていなかった。田中の前のめりは、用地に絡む思惑もあったのかもしれないが、東大移転が田中自身の提唱する「列島改造論」的構想の一部であることが大きい。
「列島改造論」に直結する大学改革論
のちに刊行される『日本列島改造論』は、大都市の大学が「名声と人材」を集める一方で地方大学が停滞していること、東京への大学集中が人口集中の一因であることを指摘した。そこで、東京の大学を「地方の環境のよい都市」に分散するとともに、まったく新しい「学園都市」も建設する。田中は、最新学術情報へのアクセス環境、教授が長く定着できる居住環境などを整備すれば、地方小都市であっても「世界的な水準の教育の場」になりうると説いた。 同時に、現在の地方大学を「特色のある大学」に変える必要もある。その地方大学でしか研究できない分野があれば、研究者や学生はイヤでも東京を離れて地方に移らざるを得ない。太平洋ベルト地帯の大都市に集中した産業と人口を地方に分散させ、高速道路・高速鉄道のネットワークでつなぐ「列島改造論」そのままの大学改革論である。 1985年、脳梗塞で倒れる7日前のインタビューでも、田中はかつての東大移転論を蒸し返した(この時は「富士山の麓はうるさいから、赤城山麓でもいい」と発言)。本郷の跡地を医療センターにする案も以前と同じで、「そのときになれば全部テレビで脳外科の手術ができるようになります」とも語っている。本人の前途を考えても含蓄のある発言である(「発病直前に怒りを爆発! 田中角栄「国鉄廃止なんて愚の骨頂だ!」」『現代』8月号)。 *** もっとも、もし河野氏が総理大臣になったとしても、大学の自治が重んじられ、東大や一橋大などの国立大学が独立行政法人(国立大学法人)化した現在では、大学側が自主的に移転を考えない限り、「田中角栄の悲願」の実現は困難だろう。河野氏が本気で東京一極集中を解消したいなら、まずは国会や官庁の地方移転を考える方が先かもしれない。 とはいえ、東大や一橋大だけでなく、早慶上理やMARCH、日東駒専など多くの若者たちを吸い寄せる大学群が一斉に地方に移転したら、日本列島の景色はどう変わるだろうか。ちょっと想像を喚起される話ではある。 ※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。
尾原宏之(おはら・ひろゆき) 1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。著書に『大正大震災 忘却された断層』、『軍事と公論 明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男 丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』、『「反・東大」の思想史』など。 デイリー新潮編集部
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