「東大を地方移転させる」――自民党・河野太郎は「田中角栄の悲願」を実現できるか
自民党総裁選に出馬した河野太郎デジタル相が、東京一極集中を是正するため、東大や一橋大を名指しして「地域へ移ってもらう必要がある」との考えを示し、物議を醸している。 【写真を見る】田中角栄が東大移転の候補地に挙げた「移転先」 世界的に有名な場所として知られる場所
総裁選の候補者9人のうち過半数の5人が東大出身であることから、ネット上では「慶大出身の河野氏による東大への腹いせでは」との口さがない臆測も出ているが、興味深いことに、じつは60年前にあの田中角栄も同じような政策を主張していた。 甲南大学教授の尾原宏之さんの近著『「反・東大」の思想史』(新潮選書)には、田中角栄が東大移転に意欲を燃やしながら、脳梗塞に倒れて挫折するまでのエピソードが描かれている。以下、同書から一部を再編集して紹介する。 ***
田中角栄がぶち上げた「東大移転案」
東大の地位を脅かしかねない都心からの移転案は、高度経済成長期にも浮上した。戦後の東大移転案というと、70年代後半に登場した米軍立川基地跡地への理系学部などの移転案(頓挫)が知られるが、それ以前に田中角栄が主唱していたことは意外に忘れられた事実である。 池田勇人内閣で大蔵大臣を務めていた田中は、1964年の参議院大蔵委員会で、「東京や大阪にある大学」を「理想的な環境」に移転させるアイディアを語った。「大蔵省の諸君は大体東大の出身者ですから、自分たちの学校を移そうなんていう気にならぬ」ので田中が独自試算し、東大移転に最低600億円、世界的な大学にするためには1000億円かかるとの見方を示した。この年設置される国立学校特別会計を推進する理由の中で述べられたものである。 田中の東大移転案は新聞各紙で報道されたが、大蔵・文部の事務当局は、予算が膨大な上に東大側が移転を望んでいないとして打ち消しにかかった(『朝日新聞』3月30・31日)。だが田中は手を緩めず、東京の過密解消のための中央省庁移転を検討する内閣の方針に乗じて、東大などの地方移転をぶち上げ、具体案を検討することが閣議で了承される(同6月16日)。