アイルトン・セナを愛したF1カメラマン・熱田護のベストショット6選「どんどん彼の魅力にひかれていった」
【1993年/第3戦ヨーロッパGP】 イギリスで開催されたヨーロッパGP。雨となったドニントン・パークでの一戦は、セナのベストレースのひとつに数えられています。 予選ではプロストに1.5秒以上の大差をつけられて4番手に終わりますが、雨の決勝では驚異的な速さを見せつけ、2位のデイモン・ヒルに1分以上、3位のプロストを周回遅れにして優勝します。 1993年のセナは雨がらみや、ウイリアムズがミスをした時には何が何でも勝ってやるという、情念のようなものが見えました。
【1994年/第2戦パシフィックGP】 岡山県のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で開催されたパシフィックGP。当時の日本においてセナは大スターで、多くのファンがセナの優勝を期待してサーキットに集まっていましたが、1コーナーでクラッシュに巻き込まれてリタイア。 セナだけでなく、日本のファンもガッカリしていました。セナは次のサンマリノGPで命を落としますが、僕はセナとシューマッハのタイトル争いが見られなかったのも非常に残念です。 2021年のルイス・ハミルトンとマックス・フェルスタッペンのような勝負が、ひょっとしたら1994年にも実現されたのではないかと時々思ってしまいます。
【イモラ・サーキットのセナの銅像】 1994年5月1日、サンマリノGPの決勝7周目、首位を走行するセナのマシンは突如としてコントロールを失い、タンブレロ・コーナーのコンクリートウォールに激突。帰らぬ人となりました。 クラッシュの原因はステアリングの故障とみられています。セナが亡くなったイモラ・サーキットの高速コーナー、タンブレロの近くに設置されている銅像。今でも多くのF1関係者やファンが訪れています。 前編<「アイルトン・セナほど人間的な魅力にあふれるドライバーはいない」F1カメラマン・熱田護の心残りは「独占写真のフィルムを盗まれ...」>を読む 堂本光一インタビュー<「アイルトン・セナは僕のアイドル」伝説のレースに大興奮した少年時代を語る>を読む F1フォトグラファー・桜井淳雄インタビュー前編<アイルトン・セナの最期は「覇気がないというか、苦悩に満ちていた」日本人F1カメラマンが目撃した表情の変化> F1フォトグラファー・桜井淳雄インタビュー後編<アイルトン・セナとホンダの深い絆、マンセルとの涙の抱擁......F1フォトグラファーがとらえた名場面> 【プロフィール】熱田 護 あつた・まもる 1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。5月31日にアイルトン・セナのメモリアル写真集『Ayrton』(インプレス/36,000円)を発売予定。専用ケース入りの大型写真集で999部の限定販売。
川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi