ジャーナリスト・伊藤詩織さんが会見(全文1)逮捕見送り問題報じた社はなし
元TBS記者からの暴行被害を訴えたフリージャーナリストの伊藤詩織さんが24日午後3時から東京の外国特派員協会で記者会見した。 今月18日には暴行についての手記を出版しており、それに合わせて本名を公表した。 ※一部、判別できない箇所がございますことをご了承ください。
今回の事件の背景について
伊藤:本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まず最初に、この外国人特派員クラブで今年の5月にも会見を行いたかったんですけれども、それが果たせなかったので、まず海外のメディアの方にも来ていただいたので、今回の件について日本語で説明する前に英語で軽くバックグラウンドを説明できればと思います。 本日はご参加いただきありがとうございます。最初、今年の5月にこちらの外国特派員協会での記者会見を行う予定にしていたんですけれども、残念ながらそれを実現することはできませんでした。そのため本日、外国メディア、そして日本の記者クラブに入っていないメディアにもお話をする機会をいただきうれしく思っております。 私は2年前にレイプされました。2015年、ニューヨークでジャーナリズムと写真の勉強をしたあとに東京に戻りましたが、そのときはロイター通信でインターンとして働き始めました。私は大きな望みを持って将来の夢であったジャーナリストになると決意していました。同じ2015年の4月のことだったんですけれども、当時ワシントン支局の、TBSのワシントン支局長だった山口と出会いました。そのときメールを通して仕事のオファーをいただいたんですけれども東京に戻った際に就労ビザの話をするために彼に会うように誘われました。山口氏と食事をしながらお酒も何杯か飲んだあとに突然、意識を失いました。激しい痛みで目が覚め、そのときに山口氏が私の上にいて、そして私に挿入していたということが分かりました。それが今日までも私が直面している悪夢の始まりでした。 そのとき病院、〓レイプ救援センター 00:08:39〓、そして警察に助けを求めようとしたんですけれども、どこも私を助けてくれませんでした。そのときに日本の司法、そして日本の社会のシステムは性犯罪の被害者のためにはちゃんと機能していないということが分かりました。そのとき警察は、この事件について報告をすることも許してくれませんでした。こういった事件はよく起こることですし、捜査することも非常に難しい。性犯罪を捜査することが難しいというふうに言われました。 そのとき私はたくさんの疑問を持っていました。警察に対して、なぜ私の被害届を出してくれないのかということも聞きました。そして捜査するように私からお願いをしました。最終的にはホテルの〓防衛 00:09:59〓カメラ、DNAの検査結果、そしてタクシーの運転手やホテルの従業員の証言などを捜査して、それでちゃんと調べてくれることになりました。その捜査員の努力により捜査も終わり、裁判所から逮捕状も出されました。しかし、成田空港で捜査員が山口氏を逮捕しようとしたときに、上のほうからの命令で逮捕が止められました。当時の刑事部長だった中村格氏が捜査員に逮捕をやめるように命令をしたということでした。説明もないままで、そういった命令が許される警察組織の在り方に疑問を持っています。私は中村氏にインタビューをするように努力をしてきましたが質問はいまだに答えられていません。 世界中でレイプが報告されないことはよくあります。日本でも5%のレイプ事件も報告されないほどスティグマとタブーというのはとても強いものです。私はこのタブー破りたくて、顔も名前も出して告白することを決めました。日本で生活する性犯罪の被害者として社会もメディアもよく私たちに、私たちに隠したほうがいいというふうに言われます。これは私たちのためであるということも言われます。実際、捜査員にも報告しないように私は勧められました。もし報告をするとしたら、ジャーナリストとしての仕事も失い、そしてこの業界で仕事ができなくなるというふうにも言われました。自分の人生もこれで終わりだよということまでも言われました。この主な理由というのは、私が犯罪者として訴えている人は知名度が高く、業界でも尊敬されている人だからです。 公にしてからは多くの迫害もバッシングも受けました。前のように生活することもできなくなってしまいました。しかし隠れなければいけないのは私たち被害者ではありません。問題は私たちを受け入れて、そして信用する準備ができていないこの社会にあります。話をすることでいい変化をもたらすことができます。そして性暴力を無視することはもうできません。