小倉智昭さんと「とくダネ!」で20年共演した笠井信輔アナが明かす「最後の会話」と「番組の黄金時代」
■奇跡的なタイミングだった「最後の会話」 笠井さんから見て、2人はどんな夫婦だったのだろうか。 「小倉さんはさゆりさんには頭が上がらない感じでしたよ。さゆりさんはしっかりとした方で、頭の回転が速く、小倉さんが間違っているときは、はっきりと指摘もします。小倉さんは最後は本当にさゆりさんに頼りきっていました。がんになって、さゆりさんと過ごす時間が増えたことで、小倉さんは『一緒に買い物に行ったよ』『何十年ぶりに手をつないで歩いたよ』とかうれしそうに話してくれました。『さゆりがいたから、僕もまあ、なんとかなった』といつも言っていましたね」 小倉さんは2016年にぼうこうがんと診断されてから8年間、闘病生活を送った。笠井さんによれば、12月4日、医師がさゆりさんに『もう、手の施しようがありません』と話し、3つの選択肢を示されたという。1つ目は「このまま病院に入院したまま命を終える」、2つ目は「ホスピスへ行く」、3つ目は「家に帰る」だった。医師から「ご主人に話しますか?」と聞かれ、さゆりさんは迷うことなく「話します」と答えたという。さゆりさんから打ち明けられても、小倉さんはうろたえることもなく、「じゃあ、家に帰ろう」と答えた。 そして12月6日に帰宅。笠井さんが冒頭の電話を入れたのは、その翌日だった。笠井さんが小倉さんと最後の会話ができたのは、本当に奇跡的なタイミングだったのだ。 しかし、小倉さんの体調はその後急変し、12月9日午後、77年の人生に幕を閉じた。笠井さんが訃報を聞いたのは、その夜。 「朝、追悼番組に出演するためにテレビ局へ向かいました。その道中、タクシーの中で涙がこぼれてきましたが、本番中は泣きませんでした。それは小倉さんと最後の電話でお別れを言い、『ありがとうございました』と感謝の気持ちを伝えてあったからだと思います。大切な人と最後の会話を交わすことって、本当に重要なことなんだなと」 笠井さんは25年前、小倉さんと出会い、1999年4月に「とくダネ!」が開始すると、メインキャスターと局アナという立場で約20年間共演した。