「キリスト教の神」が、「三角形の中の目」で示されることがあるのはなぜか…? じつは「深い理由」があった
「三角形の中の目」
グローバル化が進むなかで、自分とは異なったさまざまな背景をもつ人と関係を築くようになったという人は多いかもしれません。たとえば、日本で、あまり宗教を意識せずに育った人にとっても、キリスト教の知識をもっておくことは、以前に比べて重要性を増していそうです。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 キリスト教について知るために非常に役に立つのが、『キリスト教入門』(講談社学術文庫)という一冊。著者は、比較文化史家でキリスト教に関する著書が多数ある竹下節子さんです。 本書は旧約聖書と新約聖書の内容をわかりやすく紹介しつつ、キリスト教を知るうえでポイントとなる「キーワード」を整理して提示してくれます。 たとえば、キリスト教では、神がシンボリックに「三角形の中の目」として描かれることがあります。これはなぜなのか。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈「万物の中に神を見る」という意味の遍在の他に、「至るところで神から見られている」という遍在の強迫観念も存在した。子供に「だれが見ていなくても神さまからは全部お見通しですよ」というタイプのもので、その時の神は実際に目のあるイエス・キリストのイメージではなくて、三位一体の父なる神の方だ。シンボルとしてはイエス・キリストが小羊なら父なる神は三角形の中に描かれた大きな目だった。 「目」のシンボルはフリーメイスンでも使われているが、罪を神父に告解して赦免を受けるというカトリック教会による信者支配システムにも有効に働いた。フランスでは一九世紀になってからも、公共の場所にその「目」の石版画が貼られて「神が見ています、ここでは宣誓に背かないこと」と書いてあったようだ。〉 〈キリスト教以前のヨーロッパにすでにあった呪術的な「邪悪な目」もこの「目」に転用されている。遍在する悪意のような「邪悪な目」に対抗する守護シンボルとして役立ったのだろう。 目ほどには一般的ではないが、「神の耳」のイコンもたまにあって目を補強する。これはパワー発信装置ではなくて純粋な情報収集装置らしい。ギリシャ哲学の影響もあって、光と音の照応関係(太陽光線のプリズムと音階などが結びつけられた)は教会建築や教会音楽のベースになっていた。 これに、典礼の時に燻らす香や、イエスの血と肉にして口に入れられるパンとワインの味と香りも加わって、人々は五感に充溢しミクロコスモスに遍在する神を実感したに違いない。〉 「神が見ている」という感覚、そして、邪悪なものからの守護のシンボル。さまざまな考え方が融合しつつ、宗教的シンボルが形成されていく様子は、非常に興味深いものがあります。 * さらに【つづき】「なぜキリスト教は、神を「父と子と聖霊の“三位一体”」としたのか…? そこには「意外すぎる理由」があった」では、キリスト教の「三位一体説」についてくわしく紹介しています。
学術文庫&選書メチエ編集部