90年代の日本競馬支えた種牡馬御三家 “東京コースの鬼”トニービンとは
【栗山求(血統評論家)=コラム『今日から使える簡単血統塾』】 ◆知っておきたい! 血統表でよく見る名馬 【写真】トニービンのこれまでの軌跡 【トニービン】 20世紀半ば過ぎまでのイタリア競馬は、オルテッロ、ネアルコ、リボーといった名馬がターフを彩り、ヨーロッパのなかでも確固たる地位を保っていました。しかし、1970年代以降は徐々に斜陽化が進み、1980年代には誰の目にも衰退が明らかな状況となっていました。1984年秋、近年のイタリア最強馬との評判で来日したウェルノールは、ジャパンCの前哨戦として富士Sに出走し、断然人気を裏切ってアローボヘミアンの3着と敗れました(本番は9着)。 そんな状況のなか現れたのがトニービンです。当歳秋、アイルランドのセールでイタリア人が購買(当時の邦貨で約65万円)し、同国の調教馬となりました。4歳を迎えて本格化すると、この年にG1を3勝。フランスに遠征して凱旋門賞2着と健闘しました。5歳時にはさらにスケールアップし、ついにイタリア調教馬として1961年のモルヴェド以来27年ぶりの凱旋門賞制覇を果たしました。 翌1989年からわが国の社台スタリオンステーションで種牡馬入り。2000年まで12年間供用され、エアグルーヴ、ジャングルポケット、ウイニングチケット、ベガ、ノースフライトなど多くの活躍馬を出しました。1994年にはチャンピオンサイアーの座に就き、90年代後半にはサンデーサイレンス、ブライアンズタイムと合わせて“種牡馬御三家”とも称されました。総合種牡馬ランキングでは他に2位が3回、3位が5回あります。 長くいい脚を使えるタイプで、東京コースの鬼。馬体は中型で、ヨーロッパ血統らしい成長力があり、気性的には難しいところもありました。母の父としてはハーツクライ、アドマイヤベガ、ルーラーシップ、カレンチャンといった芝の一流馬だけでなく、トランセンド、アドマイヤドンといった砂の名馬も出しています。スタミナ、底力、持続力の源としていまなお影響力の強い血です。 ◆血統に関する疑問にズバリ回答! 「地方競馬における種牡馬の年間最多勝記録は?」 ウェブで調べられる限りにおいては、2018年にサウスヴィグラスが記録した「432勝」です。 稼働している産駒数が多くなければこれだけの数字を残すことは困難です。1980年代に7年連続勝利数ランキングで首位となったボールドコンバタントは、1982年の175勝が最多記録でした。 受胎させる技術の進歩により、少ない交配回数で受胎させることが可能となり、その結果として人気種牡馬は1頭あたりの産駒数が増えました。ダートサイアーとしてのサウスヴィグラスの人気は高く、種牡馬生活の中期以降、毎年コンスタントに100頭以上の産駒が誕生し、それらが全国の競馬場で勝ちまくりました。2013年に初の300勝超え(340勝)、2016年に400勝超え(401勝)を果たし、2018年にパーソナルベストかつ歴代最多勝記録を樹立しました。 サウスヴィグラスは300勝以上を9回記録し、そのうち5回は400勝以上。その他の種牡馬の最多勝記録はゴールドアリュールの301勝(2018年)ですから、いかにサウスヴィグラスが突出していたかが分かります。 ちなみに、アングロアラブの年間最多勝記録は、1977年にタガミホマレが記録した710勝。同馬は、自身の年間最多種付け頭数が270頭という恐るべき種牡馬で(サウスヴィグラスは212頭)、なおかつ当時のアラブは競走数が多く、短い間隔でタフに走りまくったので、これだけの数字が出たというわけです。