美学のある人になるために、必要な「勇気」とは?
フィガロジャポンは、フランスの「アール・ドゥ・ヴィーヴル(Art de Vivre)」という考え方を大切にしています。自分の感性をもとに知恵と工夫を凝らして何気ない日常を楽しくするーー「暮らしの美学」とも訳されるこの考え方は、国を超えて、すべての人の中にあり、その人の生き方を豊かにするものです。 そんなアール・ドゥ・ヴィーヴルについて考える新連載「アール・ドゥ・ヴィーヴルを探す旅。」(全4回)。プロフェッショナルコーチの畑中景子さんと一緒に、人生を豊かにしてくれる、あなただけのアール・ドゥ・ヴィーヴルを探してみませんか?
自分を満たすために、「選択する」ということ。
文/畑中景子 前回の記事では、アール・ドゥ・ヴィーヴルの種を見つけるべく、自分が惹かれるものを思い出していただきました。それを楽しんでくるという宿題をやってみて、いかがでしたか? 少しずつでも、自分を満たしてあげた時の感覚を体験できているといいな、と思います。 この感覚が、アール・ドゥ・ヴィーヴルを育てていくためのコンパスになります。今回は、そのコンパスに従って、「選択する」ことをやっていきましょう。 クライアントとコーチングセッションをしていると、「ランチの店は、同僚に合わせている」「夕食の献立は、家族が食べたいものにしている」とおっしゃる方がいます。 では、「自分が食べたいものは何ですか?」と質問すると、答えに困っている様子。さらに訊いていくと、「考えるのが面倒」「行きたい店はあっても、相手の希望を尊重しておいたほうが楽」「付き合わせるのは申し訳ない」など、その事情はさまざまです。 たかだかランチの話。ですが、意識していてもしていなくても、何かを積極的に選び取っていない時ですらも、私たちの生活は、日々、選択の連続です。上の例では、「自分で考えることを手放す」、「自分よりも相手の希望を優先する」、「希望はあるけれど言わない」などの選択をしています。 毎日の生活や職場を振り返ってみてください。今日何を食べるか、何を着るか、どこに行くか、誰と会うか、何をするか......。どれくらい自分自身で自分を満たすための選択をしているでしょうか? 選んでいるようでいても、無難そうな服にする、断りづらいから行く、人に誇れるものだから買う、そうしないと嫌われそうだからするなど、状況に合わせていくために、あるいは条件で選んでいる、ということはないでしょうか。積極的に自分の好き・嫌いで選択している場合はどれくらいあるでしょうか。 「嫌いなことは全部投げ捨てて、好きなことだけして生きよう」と言っているわけではありません。生活や人生の中では、もちろん折り合いをつけたり、やりたくないことをやらなくてはならない時もあります。ただ、その時の選択に意識的でいましょう、ということです。 「早く帰るつもりだったのに、仕事を頼まれたので残業になった」というのと、「今日は早く帰って大切な人と過ごしたかった。けれども、私は困っているチームを助けることを選んだ」ということの間には、大きな違いがあります。 外側の行動だけを見れば、どちらも残業していることに変わりはないのですが、内側のあり方はまったく異なります。前者でいる限り、状況や相手の被害者になってしまいます。一方、後者は自分の物語を自分で描く人です。目には見えませんが、残業をする前に、ワンクッションあります。仕事を断る、という選択肢も、ここには立ち現れています。断れないという癖は、それはそれでコーチングのテーマとしてもよく登場するものですが、まず「断る」という選択肢が自分にあることに気付くだけでも大きな一歩と言えます。