「美しい日本語」は外国人宣教師の言葉の中にある
郭 南燕(明治大学 文学部 教授) ここ数年、「海外で日本文学がブーム」というニュースが増えていますが、その担い手は、日本人に限りません。日本語を母語としない人々が日本語で書いた「日本語文学」の存在と、布教のため来日した外国人宣教師たちによる著述活動は、近現代の日本文学の多様性に大きく貢献しています。 ◇近代宣教師は「日本語文学者」である 日本語を母語としない人による日本語創作は、「日本語文学」と呼ばれ、現在では確立された研究領域となっています。日本語話者が日本語で書いた「日本文学」とは区別されますが、大きな枠組みでは日本文学の一部です。 日本の旧植民地である台湾や朝鮮の日本語作家を含め、1920年代のロシア人作家のS・エリセーエフやV・エロシェンコ、1980年代後半にデビューしたリービ英雄さん、芥川賞を受賞した楊逸さん(2008年上半期)や李琴峰さん(2021年上半期)など、50人余が主要な作家として数えられます。 しかし、「日本語文学者」の実際の人数は、それら主な日本語作家の10倍以上はいます。それは、幕末から現代にかけて、キリスト教布教のために来日した外国人宣教師たちです。 そもそも、日本語文学は二十世紀に急に登場したわけではなく、16世紀の安土桃山時代から始まる「キリシタン文学」にまで淵源を求めることができます。宣教師の使命は、キリストの教えを伝えて日本人を入信に導くことですから、日本語での著述は不可欠な仕事でした。 明治以降に活動した近代宣教師たちは、質量ともに豊富な日本語文学を生み出しました。それは、信仰だけでなく、東アジアとは異なる西洋の宇宙観、倫理観、歴史、思想、言語といった多様な事柄を伝え、多くの日本人に影響を与えています。彼らは日本人と共に日本の近代文化を作り上げていったと見なすこともできるでしょう。 日本語で著述した近代宣教師は、私の編著『宣教師の日本語文学 研究と目録』が出版された2023年2月現在で442人が確認できており、おそらく500人以上はいるものと推定されます。また、その単著、共著、編著数は少なくとも約2700冊にのぼることが近年の調査でわかっています。いわば、近代宣教師たちは「最大の日本語文学者群」なのです。 ところが、その残された著作数に対して、宣教師の日本語文学にかんする研究は、まだ非常に少ないです。著名な数人を除くと、学界においてはほぼ看過されています。なぜでしょうか。 理由としては、宣教師みずからがあまり出版物の宣伝をしないうえ、大半が絶版で入手しにくい事情もありますが、やはり研究者側に「外国人の日本語は幼稚である」「文学としてとるにたらない」という先入観があるからでしょう。 しかし、それは文学研究者の無知と怠惰ではなかろうかと私は思います。