「営業電話のかけ方すらわからなかった」ハリー杉山 コンサルタント会社で働いた過去とヒーローだった父親の背中
■営業の電話、報告書の見方…何もわからなかった ── 高校を卒業してすぐ働いた経験はいかがでしたか? ハリーさん:毎日が新しい発見の連続でした。自分が何も知らない現実を突きつけられもしたんです。営業の電話をかけることもありましたが、日本の電話のかけ方もわかりませんでした。最初は有価証券報告書などを見ても、分析の方法も理解できなかったんです。社会経験がなかったから、すべてがゼロからのスタートでした。
もともと僕はジャーナリストの父にとても憧れていました。働くことは、父に近づく手段の一歩だったかもしれません。とはいえ、僕にとって父は偉大な存在で、足元にも及びませんでした。父は外国特派員協会の記者発表などで、各国の大統領などの著名人と対等に接していたんです。幼いころからその姿を見ていたので「僕もパパみたいになりたい。でも、一生かけても難しいかもしれない」と考えていました。 ── その後、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で中国語を専攻し、中国の北京師範大学に1年間留学されています。
ハリーさん:大学には進学しましたが、卒業はしていないんです。日本で働いたあと、ロンドンで学生生活を送りました。でも、ロンドンの大学生ってめちゃくちゃ遊んでますよ。朝ちょっと勉強したら、部屋に戻り夕方までゲームして、朝3時ごろまでクラブに行く感じで。もちろん、ちゃんと勉強している人もいますが、ロンドンは楽しむ場所がたくさんありますからね。だんだん気楽な学生生活に耐えられなくなったんです。日本にいた父や祖母も年齢を重ねてきたので、帰国してお金を稼ぎたいと思うようになりました。
■仕事をすることでアイデンティティが確立された ── ハリーさんにとって働くことの意味や、働くことで得たものはなんだと思いますか? ハリーさん:「自信」と「生きがい」ですね。会社員として働いたときは、社会のしくみを学び、勉強になりました。24歳でタレントとしてテレビに出演するようになったころは、かっこいい先輩たちに一歩でも近づきたい思いでいっぱいでした。「何をしたいのか」「何ができるのか」、自分のアイデンティティも明確ではないまま、がむしゃらに仕事と向き合う20代を過ごしてきました。