三上博史「反面教師で構わない…あんなダサいことは絶対したくないというのでも。本気でやってるのは見せないと」 20年ぶりに歌う、伝説のヘドウィグ
ライブ・バージョンとはいえ、ヘドウィグの進化した扮装を
――ヘドウィグの扮装をどこまでされるのか、やはり気になるところです。 20周年に三上博史がヘドウィグを歌うということで、シンプルな形でもいいのかもしれないけど、それでは皆さんが許さないだろうと。何を見たいか、手に取るようにわかるんですよ(笑)。だから扮装はします! 進化しています。20年前、すでにヘドウィグは世界的に認知されていて、それぞれの国にそれぞれのヘドウィグがいたんですよ。サイバーパンクになっていたり、ヘビメタでやっていたり。僕は東京、日本のヘドウィグというのをクリエイトしたかったので、世界的にみて独自なヘドウィグだったと思います。 ――どういうところを意識していたのでしょうか。 本家の演奏は80’s(エイティーズ)の少しブリティッシュな、あえてペランペランのサウンドを狙っていたと思うのですが、僕らはそれに真っ向から挑むような、重厚な演奏に。重低音のパンクではなくグラムなんだけど、コアな感じでやっていました。それぞれのヘドウィグがあっていいと思うんです。今回は、ちょっと毒のある隣のキュートなお姉さんのような存在。突き放しているんだけど、ものすごくあったかい、そういうものを音楽だけでも届けたいです。 ――今回は“ライブ・バージョン”ということですね。 そういう意味では、MCはどうやろうかなと。ヘドウィグは台詞が決まっているから演じられるわけで、アドリブでMCなんてとてもじゃないけどできないし。それでジョン・キャメロン・ミッチェル(本作の台本・オリジナル主演)にメールをしたんです。「20年経って、ヘドウィグはどうなってるのかな? MCで語りたいんだけど」と。すると彼から「中西部の田舎町で、大学の客員教授か何かになってて、愛を教えてるんじゃないの?」って。「それ、すごいおもしろいから書いて!」と言ったら、「僕、時間がない」と言われました(笑)。 この舞台は「TEAR ME DOWN」という曲で始まります。「壊しなさい!」と。何を壊すのかというと、当時で言うならベルリンの壁。ヘドウィグは東ドイツで生まれ、西側に出るために性転換手術をし、その手術が失敗して「アングリーインチ(怒りの1インチ)」が残り、それを抱えたままロックシンガーになっていく。男でも女でもない、この私を倒しなさい!と。 ――三上さん自身、その曲から何か感じることはありますか? 今はさらに壁だらけの世の中だなと思います。取りつく島もない分断があるじゃないですか。「私はワクチンを信じてる」「信じないわ」とか。やっぱりすべてSNSから発せられていて、もう見渡す限り壁だらけ。意志の疎通もできない。それをやっぱり“ヘド様”は壊したいんだろうな。 実体験として、歳を重ねていくとどうしても頑固になるのでね。柔軟でいることがどれだけ大事か。すごく素敵な人でも、凝り固まっている人もたくさんいるじゃないですか。ガッカリするんですよね。僕は今、山の中に住んでいるのであまり情報も入らないけど、時々人と話したりするともう……。山の中でも陰謀論とか言っている人がいるしね。お願いだから、僕の前でそういう凝り固まったことは言わないで、と思います。