原爆死没者慰霊碑にノーベル平和賞受賞報告…核なき世界「ネバーギブアップ」
今年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員で、ノルウェー・オスロでの授賞式に出席した箕牧(みまき)智之さん(82)が18日、帰国後初めて広島市中区の平和記念公園を訪れ、「核兵器のない世界となり、安堵(あんど)の人生を送れる日が来るまで、ネバーギブアップで頑張りたい」と決意を語った。
箕牧さんは、共にオスロに渡航した被団協代表理事の田中聡司さん(80)や高校生平和大使で市立基町高2年甲斐なつきさん(17)と公園内の原爆死没者慰霊碑に花束をささげた。
3人はその後、市内で記者会見した。授賞式で証書を受け取った箕牧さんは「被団協を築いた先人への感謝を抱いて受け取った証書はすごく重たかった」と振り返り、甲斐さんは「この盛り上がりを持続させ、核兵器のない世界を実現することが若者の使命と責任だと感じた」と語った。
14歳のあの日太陽が落ちてきた…93歳詩人、オスロで証言
授賞式が開かれたノルウェーのオスロには、被団協の代表団以外に12人の被爆者も同行ツアーで訪れた。詩人の橋爪文(ぶん)さん(神奈川県鎌倉市)は、その中で最高齢の93歳。「世界に訴える機会はこれが最後かもしれない」。体調面の不安はあったが、国際情勢への焦燥感が背中を押した。
「14歳のあの日。強烈な光線が発された瞬間、『太陽が落ちてきた』と思いました」。授賞式前日の9日夜、オスロ中心部の図書館で開かれた証言会。橋爪さんは通訳を交え、市民ら約150人に体験を語った。
橋爪さんは、爆心地から約1.5キロの学徒動員先で被爆した。広島市内にあった自宅は焼失し、末っ子だった弟をなくした。
ずっと体験を語らずにいたが、3人の子育て中だった40歳代の頃、高熱が続き、医師から「余命半年」と告げられた。命を永らえたものの、「子どもたちに何かを残したい」との思いに駆られ、原爆をテーマに詩を書くようになった。
61歳の時に英スコットランドに語学留学。被爆者の存在を知ってもらうため、「反核・平和海外ひとり行脚」と名付け、一人で海外を回るようになった。