19世紀のNYでは実は100台を超えるEVタクシーが走っていた、大人気はなぜ急落したのか
バブルの崩壊
モリスとサロームは新たな支援者を探し、富裕層の投資家たちから支援を受ける。その中にはニューヨークの路面電車の電化に貢献したことで知られる投資家ウィリアム・ホイットニーがいた。ホイットニーの指導の下、2人の会社は路面電車やバッテリーの製造会社と合併し、全米をつなぐ電気輸送ネットワークの構築を目指した。 合併後の会社エレクトリック・ビークル・カンパニーは早速、タクシー事業をフィラデルフィアやシカゴ、ボストンといった大都市に広げ、やがて米国最大の自動車製造会社になった。 しかし、こうした急速な拡大戦略は長続きしなかった。ニューヨーク以外での事業はずさんな経営で、日刊紙ニューヨーク・ヘラルドによる1899年の調査で同社への不正融資が明るみに出ると、投資家からの信用を失う。同社の株価は急落し、1902年には事実上、破産状態となった。
力を失った電気自動車
エレクトリック・ビークル・カンパニーの破綻は投資家らに衝撃を与え、電気自動車の未来に影を落とした。 「電気自動車の未来を消したのは、アイデアでも技術でもビジネスモデルでもありません」とアルバート氏は言う。「それに携わる者たちの倫理に反する行動のせいです」 ある火災で車両の大部分を焼失したうえ、1907年には金融恐慌が起きて、ニューヨークのEVタクシーはとどめを刺された。その時期はちょうど、ガソリン車が市場で勢いを増していた頃と重なる。同じ年、ニューヨークの実業家ハリー・アレンが、フランスから輸入した65台のガソリン車でタクシーサービスを始める。1年足らずで、その保有台数は700台に増えた。 ガソリン車は、その後のアメリカの100年を動かしていくのだが、電気自動車は長いまわり道の末、ゆっくりと復活しつつある。2022年、25台のEVタクシーがニューヨークの街を走り始めた。未来のクルマの「再」登場だ。
文=Christopher Klein/訳=夏村貴子