19世紀のNYでは実は100台を超えるEVタクシーが走っていた、大人気はなぜ急落したのか
電気自動車のパイオニア
「テスラ」と言えば発明家ニコラ・テスラのことだった頃、初の商用電気自動車「エレクトロバット」が登場した。ヘンリー・モリスとペドロ・サロームという米フィラデルフィアのエンジニアによって作られたこの電気自動車は、重量は1134キログラムほど、鉛蓄電池で駆動し、最高時速は約25キロメートル。1回の充電で約40キロメートルの距離を走行できた。 さらに2人は、かつてブロードウェイ・ローラースケートリンクがあった場所に画期的なバッテリー交換システムを作り上げ、車両を継続的に稼働できるようにした。カーレースのピットクルーさながらの手際のよさで、作業員がリフトと油圧装置を天井クレーンのように使って車両を巧みに操り、500キログラム近くある使用済みバッテリーを引き抜き、新しいバッテリーを挿入する。この間わずか3分。 「馬車馬の交代に比べると格段に速いし、おそらく現代の私たちがガソリンを満タンにするのと同じくらいの速さでしょう」とキルシュ氏は言う。 マンハッタンでのタクシーサービスは上流階級を中心にたちまち人気を博した。車を売るのではなく、2人で立ち上げた会社エレクトリック・ワゴン&キャリッジ・カンパニーを通じて月単位でのリースや都度貸し出しという方法を取った。 タクシー車両も大幅に増え、1897年時点でわずか10数台だった車両は、1899年には100台を超えた。エレクトロバットは加速が良く、走りも静かで、理想的な街乗り車だった。 ところが、そのスピードと静かさが予期せぬ問題を引き起こす。1899年5月、タクシー運転手のジェイコブ・ジャーマンはレキシントン・アベニューを時速19キロメートルで走り、スピード違反で逮捕された最初の自動車運転手となったというニュースが報じられた。 その数週間後、アッパー・ウエスト・サイドの路面電車から降りた不動産ブローカーのヘンリー・ブリスがEVタクシーにはねられ、死亡した。自動車事故で亡くなった最初の歩行者となった彼は、エレクトロバットが近づいてくるのに気づいていなかった。