「ハリセン演歌」小川リエ 歯列矯正の失敗克服し復活
「ハリセン演歌」小川リエ 歯列矯正の失敗克服し復活 THE PAGE大阪
チャンバラトリオを師匠に持ち、歌いながらハリセンで観客の頭や肩を叩くパフォーマンスで人気を呼び、テレビなどにも多く出演していた演歌歌手の小川リエ。「ハリセン演歌」で一世を風靡したが、歯列矯正の失敗で10年以上も治療にかかり、声量が衰えるなど歌手としては致命傷を負った。だが、ようやく治療がほぼ完治、復活を果たした。まさに地獄からの生還で「ほんとに悩みました。生き地獄でした。それでも諦めず、ようやく再起動にこぎつけました」と話す小川だが、一体どのような苦労を重ねたのか。
師匠はチャンバラトリオ、テレビにも出演していた
小川は「大阪名物ハリセンチョップ」のギャグで人気を博した「チャンバラトリオ」(5月12日に解散発表)を師匠に持つ。 2000年4月「あっぱれ阪神タイガース 」でメジャーデビュー。ほかにシングル「愛の鞭です はり扇は 」(1998年4月)、 「それからの桃太郎 」(2008年10月 ネットリリース)などがあり、これまでテレビにも多数出演。先日、15年ぶりに出したメジャーシングル「浪花の一番星」(詞・塚口けんじ、曲・石田雄一)も全国で発売中だ。 「地獄からの生還歌手!ハリセン演歌の小川リエが再起動します」と題し、このほど大阪京橋のライブハウスレストラン「ベロニカ」(大阪市城東区)で、小川リエ新曲発表&会見が行われた。新曲披露時には、キッズダンサーらがバックを務め、演歌と子どもダンサーという珍しいコラボで異彩を放った。チャンバラトリオの弟子らも駆けつけ、ユニークな復活イベントとなった。
次第にさまざまな身体の不調に悩まされるように
デビュー前に軽い気持ちで歯列矯正治療を実施。その後、幸せのハリセン演歌で華々しくデビューし、一躍脚光を浴びた。ところが、4年間の治療が終わってから、次第にさまざまな身体の不調に悩まされるようになったという。プロ歌手としての歌唱機能を奪われたばかりか、日常生活にも大きな障害をもたらすことになり、ここから地獄の闘いが始まった。 だがその後、専門の名医と出会い、懸命の再治療を開始。10年ほどの長い期間を経て再治療もほぼ完治した。しかし、いったい、どのような苦労を重ねたのか。歯列矯正治療について、本人に話を聞いてみた。 ──歯の矯正治療のきっかけは? 小川 下の歯並びが悪く、テレビに映った時の審美的な印象を意識して治療をすることにしたんです。 ──いきなり歯を8本抜かれたんですね? 小川 矯正の先生に言われるままに、8本を抜いてワイヤーをはめて矯正治療を始めました。その方がいいと言われて…。 ──その後、原因不明の身体の不調が増えていったそうですが? 小川 そうなんですよ。身体が急にしんどくなったり、肩凝りがひどくなったり、めまいがしたり。平衡感覚がおかしくなったり。ほんとに身体に変調をきたしたんです。気管圧迫が原因で発声も思うようにできなくなっていました。 ──それで、どうされたんでしょうか? 小川 当初は原因がわからなかったんです。まさか矯正治療が原因なんて思ってもいなかったので、脳神経外科や心療内科、鍼灸院の先生に診てもらったり、接骨院にも行きました。でも、なかなか原因はわからなかったんです。それから接骨院の先生にウオーキングを勧められて、ウオーキングを始めました。その時、前に顎を出して歩いたら楽になったんですね。で、ひょっとして、歯の治療が原因かなって思ったんです。すでに2年が経ってました。