「もっと出世したい」「もっと年収を上げたい」生き急ぐ人が支払う大きな代償
「もっと」の追求は慢性ストレスにつながり、同時に神経伝達物質のドーパミンを中心とした生活を促すのだ(ドーパミンは心の平穏をもたらす脳内のネットワークを不活性化する)。 「もっと」を際限なく追い求めるのは空しいということを理解できる人は多いだろう。だが、「もっと」には思わぬ代償が伴うことはあまり理解されていない。 たとえば、職場で大きな責任を担えば、燃え尽き症候群になるリスクが高まる。好きなだけ食べれば、脂肪がついて不健康になる。大きな家を買えば、ローンが増えて経済的自由がなくなる。郊外に家を建てれば、通勤時間が増えて毎日のストレスになり、家のメンテナンスの手間も増える。身体を鍛えて最高の体型を維持しようとすれば、家族との時間や本の執筆など、他のことに費やせたかもしれない膨大な時間と労力をトレーニングに捧げなければならない(加えて、好きなものを好きなだけ食べることもできなくなる)。 どこを終着点にするかの基準はそれぞれの目標や価値観によって異なるが、一般的な指標にできるものもある。 たとえば、「世帯年収が7万5000ドル前後になると幸福度は横ばいになる」という研究結果がある。これは、世帯年収がこの額に達したらそれ以上年収を上げる努力をやめるべきだということではない。しかし、この時点を過ぎてさらなる努力をすることの代償には留意しておくべきだ(またこの例では、住んでいる地域の物価も考慮する必要がある)。「何事も一定以上得ると、効果が薄れる時点がある」ことは、常に意識しておこう。 「もっと」を求めることが自分の価値観に即していて、付随する代償に耐えられるのであれば、そのために努力する価値はある。だが残念ながら、実際にはこれと逆のケースが多い。 「決して十分の状態に達することはない」というストーリーを受け入れてしまうようになることも、モア・マインドセットが慢性ストレスの要因となる理由だ。これがこのマインドセットの面倒な部分である。どんなに何かを成し遂げ、成果を積み重ねても、まだ足りないと感じるのだ。この絶え間ない渇望は、決して満たされることのない不満を生む。どれだけ持っていても、もっと欲しいと思ってしまう。
クリス・ベイリー/児島 修