「もっと出世したい」「もっと年収を上げたい」生き急ぐ人が支払う大きな代償
・もっと自由な時間が欲しいが、もっと仕事の生産性を高め、もっと成功したい。 ・もっと幸福で、もっと有意義な人生を求めているが、今この瞬間にできる限りもっと多くのことを詰め込みたい。 何が問題かはすぐにわかる。そう、「もっと」は幻想であることが多いのだ。 ● デフォルトの目標を 鵜呑みにしてはいけない 僕たちは、常に「もっと」を追い求めれば、もっと豊かになり、有名になり、健康になれると想像する(肉体を究極まで鍛え、レスラーとしてだけではなく、俳優としても大成功を手にしたプロレスラー、ドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンに、誰かこのことを伝えるべきだ)。 また僕たちは、いつでも、もっと大きな家に住みたい、もっと新しくてピカピカのIT機器が欲しい、などと思っている。しかし実際には、目標には終着点が必要だ。その終着点とは、人生に大きな違いをもたらす時点のことだ。終着点のないゴールは幻想に過ぎない。 世俗的な所有物を手放せとか、成果を追い求めるのをやめるべきだと言っているわけではない。多くの場合、「もっと」を求めて努力をすることには価値があるし、妥協すべきではない。 しかし、現代社会のデフォルトの優先順位が自分に合っているかどうかは、よく考えてみる価値がある。もしそうだと判断すれば、少なくともその判断は社会に押しつけられたものではなく、自分で下したものだと納得できる。努力する価値があるのは、恋愛、経済的自由、余暇など、ごくわずかしかないと判断する人もいるだろう(僕を生産性へと駆り立てているのは余暇だ。怠け者なので、自分の楽しみのための時間がもっと欲しいのだ)。 社会が決めたデフォルトの目標を鵜呑みにせず、自分の価値観に合うものを選んで、残りは手放そう。自分にとって努力する価値があるものが何かを判断したら、計画を立てよう。その計画には、終着点をはっきりとさせること。 いずれにせよ、何が自分の行動の原動力になっているのかは、じっくりと考える価値のある問題だ。僕たちを駆り立てる力がどこかに隠されていて、周りの世界に埋もれて見えない場合には、なおさらである。 ● 「もっと」を 求めることの代償 モア・マインドセットを避けようとすることは、心の平穏の追求とは関係のないことのように思えるかもしれない。だがこれは、不安を減らすためには欠かせないことだ。