能登半島地震から半年、メディアが伝えない被災者たちの悲痛な本音と非情な現実
震災から半年がたつ今、輪島市が進めているのは、まずは避難所を解消し、仮設を準備して住民を市外から故郷に戻し、家屋解体やインフラ修復を進めること。こうした復旧の次のステップが、新しい街づくり、すなわち「復興」だ。 復興とは、単に従前の状況に機能回復するだけではなく、長期的展望に基づき地域の総合的な構造を経済面を含めて見直し、新しい街づくりを実現することだ。復旧もままならない被災者にとっては、まだ到底考える余裕のない未来かもしれない。 しかし石川県は、5月20日には「石川県創造的復興プラン(仮称)」と題した108ページにわたる詳細な素案を公表した。もともと過疎高齢化が進む奥能登で被災し、住民が金沢などに離散した今、復興という展望を急ぎ提示しなければ人も経済も戻ってこないと考えたからだろう。 「創造的復興プラン」の冒頭、2ページにわたってつづられた序章「能登らしさ」には、こうある(以下抜粋)。 能登には、壮大な自然が織りなす類稀な絶景と豊かな生命があります。/能登には、自然と共生する人々の、しなやかで美しい暮らしとなりわいがあります。/能登には、人々が心を激しく燃やし、地域が一つになる祭りがあります。/能登には、おたがいのことを思いやり支えあう、人のつながりがあります。/能登がこれからも能登らしくあり続けるために、いま、私たちは、創造的復興を成し遂げなければなりません。 「まずは足元を見て復旧していかなければならないが、未来を見ないとやっぱり元気が出ない。特に若い人はね。そういうなかで、石川県は本当に美しい理念の復興プランを作ってくれた」と言うのは、創造的復興の在り方を有識者らが議論する石川県の「能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード」の委員を務める金沢大学理事の谷内江昭宏だ。 金沢大学では医療支援や被害状況の調査などに関わる複数のチームが教職員や学生によって結成され、発災直後から被災地などで活動した。そして1月末、それらのチームを結集して同学に能登里山里海未来創造センターが設立され、谷内江は現在そのセンター長を務める。 早期にセンターを設立したのは、学生だけでなく教職員の中にも能登出身者が在籍する大学として、10年、20年のスパンで復興にコミットし続けるという意志と覚悟を示すものでもあった。 前述の復興プランの序章を読むと、能登のアイデンティティーに触れたようで胸を打つ。しかしこの理念は、いま打ち出すにはあまりにバラ色すぎると批判されはしないだろうか。筆者が尋ねると、谷内江は「理念というものはバラ色でいいんです」と言い、しばらく言葉を詰まらせた。 白米千枚田近くの輪島市深見町出身の谷内江は、被災した故郷に通いながら、理念と現実の距離も嫌というほど目にしている。しかし彼は、こうも続ける。 「理念というのは実際に何かをやるという段階では邪魔になりがちなものではあるけれど、胸を熱くすることはやはり大事。理念をどうやって現実のものに着地させるかが非常に重要で、そのプロセスに必要なのは、モチベーションを仕組みの中で維持し続けることだと思う」 分厚い「創造的復興プラン」には、能登の6市町と金沢の計7会場で4月に開催された住民たちによる対話の会「のと未来トーク」での発言が多数収録されている。この会に参加した谷内江は言う。 「お年寄りから若者、高校生や小学校5年生まで、みんな自由に話していた。今まで、一般市民がいわゆる本物の自治に参加する体験というのはおそらくなかったと思うんですよ。それが、やってみるとわくわくする。この仕掛けを自分たちで継続できるかもしれないと思い始めたこと、自分たちでやっていくという自信や心構えが身に付いたことが一番素晴らしい成果だった」 一方で、こうした会に出てきて声を上げられる人がいるのと同時に、「いろんな気持ちがあるけれども語る言葉と機会を持たない人」もいるのだろうと感じ取れたことも、一つの収穫だったという。 実際、筆者が訪れたある仮設住宅では、子育て中の中年女性から「コミュニティーって、何?」と憤る声を聞いた。避難所で生活しているときから高齢者はまるで「お客様のように」振る舞い、高校生を含めた若者たちに働かせ、陰では文句や悪口ばかり言っている。そのくせ、子供たちからは体育館やグラウンドなどの居場所を取り上げたままでは、「そりゃ若い子はいなくなるわな」。 彼女は声を震わせながらそう言った。「地震よりも怖いのは、人だった。人の汚らしさばかり見てきて、時間がたつほど余計に苦しくなってきた」。テレビがこの地の現状について表面的な報道をしているのを見るたび「腹が立っている」そうだ。 <奥能登に日本の未来を見る> 現在の能登の状況は、決して「被災地」だから起きていることではない。過疎高齢化が進む奥能登は、全国各地の未来を先取りしているにすぎない。今年4月24日、民間の有識者グループ「人口戦略会議」は、全体の4割に当たる全国744の自治体が「最終的には消滅する可能性がある」とする分析を公表した。 2050年までの30年間で20~30代の若年女性人口が半数以下になる自治体を「消滅可能性自治体」とするものだが、この推計によれば今回特に被害が甚大だった能登の6市町(輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町)は全て消滅可能性自治体とされる。そして、こうした自治体はほかに全国に738もある。 4月9日には、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会の会見で、分科会で能登半島のまちづくりが議題に上がり、「(人口減少が一挙に顕在化したなかで)コンパクト化・集約化は、住民の意向も踏まえながらやっていくべきではないか」との意見があったことが説明された。 震災直後には、「財政難の折に、消滅していく集落のために莫大な国民の税金を投与すべきか否か」という声もネットを駆け巡っていた。 金沢大学の谷内江は「コンパクト化・集約化」に一定の理解を示しつつ、「何かおかしいなという違和感がずっとあるんです。その違和感というのは、集落や市町の在り方をどう捉えるかについて。単に税金を使ってインフラをつくってもらうということではなく、そこに人のなりわいがあるということの建設的な意味がきっとあるのではないか」と語る。 今回の取材では、被災した方から「これからどうしたらいいですか」と聞かれることがたびたびあった。能登だけにこの問いを押し付けることはできない。 谷内江は、石川県の「創造的復興プラン」に付けられた副題を指した。「能登が示す、ふるさとの未来~ Noto, the future of country」。「ふるさと」とは日本のこと。「能登は日本の未来を映し出す」という意味である。
小暮聡子(本誌記者)