四国の鉄道網発祥の地「県庁所在地でもないのに不思議」…車両の修繕工場があり、観光列車の改造も
「瀬戸の花嫁」のメロディーにのって、「しおかぜ」「南風」などの特急や普通列車が次々と到着する。 【画像】老朽化のため撤去されることになった給水塔(JR多度津駅で) 香川県多度津町のJR多度津駅は、香川と愛媛を結ぶ予讃線、高知を結ぶ土讃線の分岐点で、多くの列車が行き交う。乗務員が所属する運転区や休憩所もあり、周辺には昭和に四国を駆け回った蒸気機関車やその車輪が置かれている。 「ここは四国の鉄道網発祥の地という栄光の歴史があるんです。県庁所在地でもないのに、不思議でしょう」。鉄道ファンで、地元の歴史研究を続ける村井信之さん(69)が経緯を教えてくれた。
約10キロ南には「海の神様」と親しまれる金刀比羅宮(香川県琴平町)がある。蒸気船が普及した明治時代、本州からの参拝客を乗せた大型船が寄港したのが、水深が深い多度津港だった。 参拝客を運ぶため、関西や地元の豪商らが1888年、多度津に「讃岐鉄道」を設立。翌89年5月、多度津を挟む香川県の丸亀―琴平間15・5キロが開通した。他社との合併などを経て、同社は国有化。その後、四国各方面に線路が延び、JR四国のルーツとなる。
多度津が「鉄道のまち」と呼ばれるのは、讃岐鉄道の開業時に、車両の修繕工場「器械場」が当時の多度津駅横に設けられたためだ。昭和に入ると名称が「工機部」に変わり、現在もJR四国唯一の工場として稼働している。 敷地の広さは東京ドームの1・8倍。復員者も受け入れ、終戦2年後には最大2000人超が勤務した。地元では今も親しみを込めて「こうきぶさん」と呼ぶお年寄りも多い。近年は年間130両ほどを部品ごとに解体して検査・修繕し、国鉄時代からの車両や観光列車などの改造も担う。 技術センター科長の池田裕樹さん(47)は父もこの工場に勤めた。車両に不具合があれば、夜中や休日にも出勤する父の姿に、「欠かせない仕事をしている、という憧れがあったのかもしれない」といい、高校卒業後、同じ道を選んだ。関わった車両が乗客を乗せて走る姿を見ては、やりがいを感じる日々だ。