最後の将軍が近代化の旗手? 徳川慶喜の「大坂城脱出ツアー」
城を抜け出し八軒家浜で船に乗り込む
宮本さんの講演を聞くうちに、物足りなさを感じていた慶喜の人物像がずいぶん違ってきた。幕末が滅び、新政府が誕生したのは、いつどこか。宮本さんは柔らかい発想で次のように話す。 「京都の皆さんは京都が歴史の舞台との自負が強いので、大政奉還と王政復古の大号令で幕府が終わったとおっしゃるでしょうか。東京の人は勝海舟と西郷隆盛の談判で江戸城が無血開城となり江戸の町は救われて新政府のもとへ入った、だから江戸で江戸時代は終わったと思うかもしれない。大阪の人間にとっては、幕府のトップである将軍が政権奪還の意欲を喪失した時点で、幕府の廃止が確定するという考え方に立てば、慶喜の大坂城脱出こそが、幕府が滅亡した瞬間といえるのではないか」 ところ変われば、である。懐の深い歴史ファンにとって、答えはひとつでなくてもいいのかもしれない。 セミナー終了後、参加者は慶喜脱出ツアーへ。宮本さんの先導で、慶喜が脱出したと推定されるコースを辿りながら、城を抜け出して八軒家浜に到着。川舟に乗り込んだ慶喜同様、参加者たちは大阪水上バスのアクアライナーに乗船し、土佐堀川を下って川口へ。途中、慶喜と敵対する薩摩藩の蔵屋敷跡付近を通過する緊張のシーンもあった。 慶喜は天保山沖で川舟からアメリカ軍艦、幕府の開陽丸に乗り換えて、海路江戸へ向かう。ツアーは川口で折り返して堂島川を上って大坂城港で解散。参加者たちはしばし、水上からの目線で、脱出する慶喜の心境を思いやった。 下船した大阪府下在住の60代女性は「慶喜は頼りない人と思っていたが、開国を進めていたと聞いてイメージがガラリと変わった」と驚きを隠さない。「友人が訪ねてきたら京都でも案内しようかと思っていたが、大阪もけっこう歴史ドラマがあったことが分かった 。これからは大阪をあちこち回って歴史を体験したい」と続けた。 水先案内人の任務を終えた宮本さんに、改めて大坂城脱出時の慶喜の心境を聞いた。 「慶喜が政権再奪取を完全に断念していたか、再起をうかがう気力をわずかでも残していたかは、議論が分かれるところだろう。大坂城を見捨てた事実に対する非難を甘受する半面、いち早く近代化を進めた自負や無念さもあったのではないか。慶喜擁護派の視点では、慶喜が大坂城にとどまった場合、大坂が戦場と化し、町の再建のため近代化が遅れる事態を、慶喜が避けたのではないかとの見方も成り立つ。慶喜の複雑な心境を深くかみしめていただけたら」 慶喜は単なる最後の将軍ではなかった。我こそは先頭を走る近代化の旗手との思いがあったのかもしれない。揺れ動く慶喜の拠点が大坂城だった。 放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」も、多様な視点からみると、面白さが増しそうだ。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)