伊那谷楽園紀行(11)偶然が誘った伊那谷の扉、運命の歯車の奇妙さ
まったくの異業種。おまけに「生涯学習施設」というのが博物館とどう違うのかも、いまいちよくわかってはいなかった。ただ、ネットで見つけた写真の建物で働けたなら、きっと天地がひっくり返ったような面白さがあるはずだ。でも、まったく合格するとは思っていなかった。ただ、偶然手に取った新聞が、人生を変えてくれる。そんな映画のようなドラマが自分の人生にも起こるのではないかとかすかな期待があった。 締め切り間際に応募したのだから、返事も早かった。10月に入ってまもなく、伊那市役所から封書が届いた。 書類審査は通過しました。ついては、面接を行いたいので伊那市までお越し頂きたい。事務的な文体で、面接の日時や会場案内が同封されていた。 気持ちは複雑だった。書類審査を通過したということは、選抜された何人かには残っているに違いない。けれども、合格するのは、たった一人だけ。そこまでたどり着けるであろう自信は、欠片(かけら)もなかった。だから家族にも、まったく話さなかった。「落ちたら、恥ずかしいじゃないか」 面接の前日に「出張がある」と誤魔化して中央道を西へと飛ばした。伊那市駅の近くにあるホテルに一泊。翌朝、面接の前に初めて、旧上伊那図書館を訪れた。昭和モダンなその建物は、駅から徒歩5分ほどの小高い丘の上にある。翌年4月の改築竣工に向けて、まだ工事に取りかかったばかりの建物は、既に秋の気配も深まった街に映えていた。「かっこいいな」。口から出た感慨は、率直だった。 でも、面接の会場で感じたのは、場違いなところに来てしまった、落ち着かなさだった。公募とは、文字通り公に広く人材を募ること。でも、どうも自分以外の応募者というのは、小中学校の校長経験者だったり、なにがしか社会教育というものに関わった経験の持ち主のようだった。自分の名前を呼ばれて、部屋に入った。頭が、真っ白になった。 どれだけ時間が経っただろう。目の前の机に並んで座っていた面接の担当者。教育委員会や図書館の関係者。その顔と名前も、うまく思い出すことはできなかった。自分がなにを話したのか、まったくうまく受け答えをすることができなかった。 「こういう時に、まともに喋ることができなくなってるんだ」 勤め人だったのは遠い昔。社長兼技術を売る職人として長く生きてきた。何人もの人の前で、自分のやりたい夢や希望を語る場面に遭遇したことは、まったくなかった。短い夢だったと思い、伊那の街の酒場をハシゴして楽しんで帰った。 ところが、数週間後、伊那市役所から電話がかかってきた。 「合格です。あなたを採用させて頂きたい」 まさかと思い、最初は実感がわかなかったが、話しているうちに飛び上がるような嬉しさが、こみ上げてきた。でも、電話の向こうの問いかけが、人生の一大転機であることを思い知らせ、嬉しさも吹き飛ばした。 「いつから、こちらに来て頂けますか? 開館準備もありますから、12月には来て頂きたいのですが……」 家族には、一言も話していなかった。折しも、娘は中学3年生で受験直前。いったいどうやって切り出そうかと、2、3日悩んだ。