伊那谷楽園紀行(11)偶然が誘った伊那谷の扉、運命の歯車の奇妙さ
50歳を迎えて、心の奥に芽吹いていた、これからの不安がこみ上げてきた。長年連れ添っている妻は、美大の後輩。まだ女性の靴職人など珍しかった時代に、男ばかりの世界に飛び込んだ。神楽坂の路地裏の工房には、ものの価値がわかる男女が、理想の一足を求めて訪れる。オーダーメイドの靴は、既製品と比べれば、ゼロが一つ違うのが当たり前。でも、手仕事で月に仕上げられるのは、ほんの僅か。驚くような値段の靴をつくっても、自分がその靴を買う稼ぎを得るためには、どれだけ靴がうずたかく積み上がるのか。 イタリアに出かけては、質も値段も目を見張る革を仕入れてくる妻に、不満がないわけではない。でも、夫婦は別なもの。工房で一心不乱に作業に打ち込む妻は美しい。 「これから、どうしようか」 目の前の不安には落ち込むが、将来を考えると楽しくなる。引く手あまたの技術を持っているわけではない。いっそ会社もたたんで、なにか別の仕事に就くのもよい。運転免許はあるから、配送ドライバーなどどうだろう。荷物をひっくり返して、怒られている姿が浮かぶ。 このまま東名高速へ進んで、渋滞に巻き込まれたら、また陰鬱な気分が何度もこみ上げてくるに違いない。前に見えるのは、小牧ジャンクションの表示。真っ直ぐ進めば東名。左に曲がれば中央自動車道。身体が自然に、左にハンドルを切った。 「急いで東京に戻ったところで、次の仕事が待っているわけじゃない……」 途中で一息つきたい。そうだ、温泉だ。どこかの温泉で汗を流して、東京に帰るのは日が変わってからでも構わない。途中のサービスエリアで車を停めて、あたりに温泉はないか探してみた。高遠の「さくらの湯」が見つかった。高遠から、県道を走って峠を越えれば茅野市。すぐに中央道がある。「遠回りにもならないし、いいじゃないか」
カーナビの指示に従って、伊那インターを降りて、天竜川を渡って高遠に車を走らせた。さくらの湯は、伊那から茅野へと向かう杖突街道を少し外れたところにあった。 休日の夕方近く。天気も悪く、休日の過ごし方に困っていたのか、湯船は混んでいた。 休日ならではの活気。ようやく休日を楽しむ群衆の一人になれた気がして、疲れと悩ましさは、煙のように消えていった。 火照った身体を冷ます休憩室には、新聞や雑誌が置かれていた。何気なく手に取ったのは『長野日報』だった。 長野県の県紙は『信濃毎日新聞』。こちらは、いくつもの地域に分かれる長野県全域のニュースを押さえている。対して『長野日報』は、諏訪と上伊那地域の情報を網羅する地域新聞だ。ページをめくると、地域で行われている行事や、大手紙では報じられることのないような出来事が、市町村ごとに、いくつも掲載されていた。普段読んでいる全国紙では知ることのない話題を興味深く読んでいると、一つのニュースを見つけた。 伊那市にある旧上伊那図書館の建物を利用して生涯学習施設がつくられることになり、館長を公募している。このたび、公募期間を9月末まで延長し、学芸員資格の有無に拘わらず広く人材を募ることが書かれていた。 はっきりは記していなかったが、当初のスケジュールでは、期待したような人材が集まらなかったことが窺えた。記事には、旧上伊那図書館は昭和5年に建築された建物だと説明されていた。写真がなかったので、イメージだけが膨らんだ。 きっと、松本市の旧制高校のような建物だろう。古い館長室なんかもあるに違いない。 重い扉を開くと、瀟洒な部屋に使い込まれた机が置かれている。想像されるような館長室はないが、旧上伊那図書館は伊那谷随一のモダンな建物だった。大正時代、伊那谷で初めての図書館をつくろうという寄付の呼びかけが始まった。当時の金額で20万円を集めようと、寄付金集めは続いたが何年経っても、目標の金額には達しなかった。 昭和に入り、助け船を出したのが製糸業で財を成した武井覚太郎という人物。私財から建物の建設費全額の14万円を寄付した武井は、台湾総督府などの建物を設計した森山松之助に図面を頼み、「長野県鉄筋コンクリート建築の開祖」といわれる黒田好造に建築を任せた。鉄筋コンクリート4階建ての建物は、伊那谷のあちこちから見物人がやってくる地域の名所となった。その後、1994年に新たに伊那市立図書館が開館。役目を終えて閉館した建物をリニューアルして使おうという計画が立ち上がったのである。 金に糸目をつけず、細部のデザインにまでこだわった昭和モダンな建物の写真を、捧は帰宅してからインターネットで見つけた。 「これは、かっこいい」 すぐに机に向かうと、応募要項に従って、履歴書と論文……この施設で自分がやりたいこと……を、書いた。もしかしたら、これで人生が変わるかもしれない。淡い期待があった。 もう、社員も一人もいなくなった。自分も50歳である。仕事はジリ貧だし60歳を超えると多くの現場では年齢制限にひっかかってしまう。いずれにしても、座しては死を待つのみ。 「記事では、学芸員資格が不要になったと書いていたけど、学芸員資格を持っている自分は、もしかして……」