世界で活躍する日本のビジネスパーソン 〈1〉■ブラジル編■ 「道産子バナナ王」山田勇次さん 一代で業界トップに上り詰めた戦後移民
これは、世界の日系メディアと協力し、各国で活躍する経営者などにインタビューしてお互いに掲載する連載企画だ。1月はブラジル編、2月はオーストラリア編、3月はアメリカ編、4月はカナダ編の予定。各地で活躍する日本人の今の姿をお届けする(編集部) 取材:大浦智子 ◆プロフィール やまだゆうじ◎1947年、北海道音更町生まれ。1960年に両親と兄弟の9人でサンパウロ州レジストロ市に移住。13歳で農作物の生産・販売を始め、20歳で独立してバナナ栽培を始める。1983年にミナス・ジェライス州ジャナウーバ市に移り、灌漑農法でバナナ生産を始め、1988年にブラスニカ社を設立。現在、ブラジル18カ所で計2500haの農場を経営し、バナナや各種フルーツの生産、流通、全国10カ所での卸売りを行う。2012年から4年間ジャナウーバ市長も務めた。
「温かい北海道」のような景色の広がる、ブラジル南東部内陸地帯のミナス・ジェライス州ジャナウーバ市を拠点に、ブラジル農業界で躍進を続ける道産子の山田勇次さん。1988年に創業したブラスニカ社は、ブラジルのバナナビジネスで群を抜いてトップに輝き、2023年の売り上げは8億レアル(243億円)、来年度は10億レアル(304億円)に達する見込みです。 演歌が好きで、18歳の時に知り合った妻ユミさんや家族、友人、社員、消費者すべての喜ぶ顔をみるのが嬉しいというバナナ王の素顔に迫りました。 【問】ブラジルに来たきっかけは? 両親は音更町の8町歩の土地で農牧業を営み、子育てを含めて辛い労働を全て母が取り仕切っていました。ところが父は母につらく当たり、それを見て夜、布団をかぶって一人声を殺して泣く日もありました。 ある時、ブラジルから一時帰国していた老翁が、「ブラジルは冬がなく、広大な土地でバナナがいくらでも食べられる。学校に行っても行かなくても自由」などと話すのを聞いて「母を楽にさせられる」と思い、私は12人兄弟の11番目でしたが、父にブラジルへ行くことを説得しました。 当時はブラジルに行ったら二度と帰ってこられないと思われ、母方の祖父は悲しさのあまり駅への見送りにも姿を見せませんでした。
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