アフガンで発見された謎の「左足の断片」。見過ごされてきた古代文明は、人類最初のグローバリズムだった!
メソポタミアからローマ帝国まで、4000年の文明史に古代ローマ史の第一人者がひとりで挑んだ「地中海世界の歴史〈全8巻〉」(講談社選書メチエ)が好調だ。1~3巻は発売まもなく重版、そして最新刊の第4巻は、「アレクサンドロス大王とヘレニズム文明」を取り上げている。著者の本村凌二氏(東京大学名誉教授)が「全8巻のなかで、これは特に1巻を設けたかった時代と文明なのです」という意欲作である。 【写真】ヘレニズム都市の絶景
こんなところにギリシア語が!?
「地中海世界の歴史」第4巻のタイトルは『辺境の王朝と英雄 ヘレニズム文明』。 まず、表紙の写真が異様だ。大理石でできた左足のつま先。この足はいったい何なのか? 断片ながら長さ28.5センチという大きさ、精巧な文様を刻んだサンダルを履いており、この文様などから、この足はギリシア神話の最高神ゼウス像の左足で、紀元前3世紀に制作されたものだとわかっている。 しかし、この左足はギリシアではなく、アフガニスタンの山中で発掘されたものだった。アフガニスタン北方、タジキスタンとの国境近くにあるアイ・ハヌムという都市遺跡である。アレクサンドロス大王の征服後、ギリシア人によって各地に建設された「ヘレニズム都市」のひとつだ。 アイ・ハヌム遺跡には、ギリシア風の聖域などがあり、体育場(ギュムナシオン)の近くには多数の箴言(しんげん)を刻んだ石碑が建てられている。この箴言は、はるか5000キロも離れたギリシア本土の「デルフォイの神域」から写し取ってきた文言だった。 〈この都市が遠隔地にあったにもかかわらず、字体がいささかも粗雑でもなく田舎くさくもないのは、驚くべきことである。最上位の優秀さをもち、ギリシア刻銘技術の最良の伝統にもとづいており、ヘレニズム文化の正確な広がりには舌を巻く思いがする。〉(『辺境の王朝と英雄』p.166) 「ヘレニズム」とは、ギリシア人の自称「ヘレネス」に由来する歴史用語で、「ギリシア風の」という意味だ。 紀元前4世紀終盤のマケドニアのギリシア支配から、アレクサンドロスの大帝国を経て、エジプトのプトレマイオス朝が滅亡する前30年までの約300年のあいだに、ギリシア文化はオリエント一帯に新たな広がりを見せていた。その時代を「ヘレニズム時代」とい、その文化を「ヘレニズム文化」という。 ……と、ここまでは高校の世界史の授業で聞き覚えがあるだろう。しかし、なんとなく古代ギリシアと古代ローマにはさまれた「文明の過渡期」というイメージではないだろうか。本村氏は、「そうしたとらえ方だけでは、大事なものを見過ごしてしまう」という。 〈ギリシア通史の最後の部分にあたるヘレニズム史は、アレクサンドロス大王をめぐる物語だけが詳しく論じられることがあっても、どことなくギリシア史全体の付け足しであるかのような印象がある。とくに狭義のギリシア史研究者にとっては、古典期を重視するあまり、ヘレニズム史はなにか余分な出来事であったかのような叙述に思われる。これは、筆者のような狭義のローマ史研究者にとって、いささか気になるところであり、いつもどこかに不満が残るところであった。〉(『辺境の王朝と英雄』p.245) 本村氏によれば、ヘレニズム文化は、ギリシア文化が、東方の土着文化と融合し、新しい段階にいたったもので、古典文化の模倣にとどまらない新たな創造力と生命力をそなえていたという。