アフガンで発見された謎の「左足の断片」。見過ごされてきた古代文明は、人類最初のグローバリズムだった!
ペルシアの富が大量に流出
そもそもオリエントの地は、メソポタミア文明から、エジプト、アッシリア、ペルシアまで、すでに数千年におよぶ文明の豊かな蓄積をもっていた。それを基盤としたヘレニズム文化は、オリエントのギリシア化であると同時に、ギリシア文化のオリエント化でもあった。 〈「文化」がそれぞれの地域の自然環境を超えて周囲に伝わり、人々が集まって都市空間を築いていったとき、「文明」が生まれる。したがって、エーゲ海やギリシア本土を越えて大きく広がり、各地に豊かな都市を建設し、普遍的な性格をもつようになったこの新しい文化は、「ヘレニズム文化」というよりも、「ヘレニズム文明」とよぶべきだろう。〉(同書p.198) ヘレニズム時代とは世界史上で最初のグローバル時代であり、従来の文明の枠を超えて人が移動し、新たな都市が発達した時代でもあった。 ヘレニズム都市の規模は、それまでの植民市をはるかに超え、エジプトのアレクサンドリアやトルコのアンティオキアなどの人口は、10万人から20万人という規模に達したという。最盛期のアテナイですら、人口30万人であったというから、その背景には一種の経済成長があったと思われる。 〈アレクサンドロスの遠征と後継者たちの侵略のせいで、ペルシア帝国が蓄積した莫大な富が流出し、オリエント全体の経済が活性化したのだろう。この莫大な富は金塊という形で広く流通したらしい。そうであれば、20世紀のケインズ経済学が示唆した「投資を中核とする有効需要」が喚起された古代経済の素朴な現象であったという見方もできるのではないだろうか。〉(同書p.184-185) ペルシア帝国の金銀財宝がマケドニア人とギリシア人の手に渡り、流通する貨幣量が増大したとともに貨幣経済が普及した、というわけである。どうやら、ヘレニズム文明は旧来の文明よりもはるかに豊かな文明だったらしい。
ヘレニズムなくしてローマなし
ヘレニズム化とは、ギリシアの文化、制度、思想はもちろん、なによりもギリシア語の伝播であった。 このような文明世界が現れるのに、大切なのは「共通の言語」である。そもそもギリシア人の世界はさまざまな方言をもつ地域社会に分散していた。それが、前5世紀にアテナイが政治・文化の中心になるにつれ、その言語であるアッティカ方言が優勢になり、ギリシア語を代表するようになっていた。やがて、これにイオニア方言を加え、アッティカ固有の形を排除して、一つの共通語が形成された。 この共通語化したギリシア語はコイネーとよばれ、アレクサンドロスの遠征を通じて広範なヘレニズム世界に拡大し、古代末期にいたるまで、東地中海の標準語として用いられることになる。 古代オリエントにももちろん、さまざまな言語があった。まず、シュメール語とアッカド語があり、やがてウガリト語、フェニキア語、ヘブライ語、アラム語が登場する。さらにペルシア語、コプト語、ベルベル語などもあった。そしてそれぞれの言語で、それぞれの伝承や記録がなされていた。 〈これらオリエント系の文芸は、それまでさまざまな言語によって伝えられていたが、それぞれの地域に根づく言葉では、狭い範囲でしか通用するはずがなかった。だが、共通語となったギリシア語で表現されるようになれば、事態は変わる。ギリシア語の理解者の間では、情報や知識が解放され、それらを共有する人々が広がることになる。〉(『辺境の王朝と英雄』p.199) そして、研究施設(ムセイオン)と大図書館を備えたエジプトのアレクサンドリアのような学芸の都も発展することになる。 また、教科書の記述の順番から、ヘレニズム時代は「古代ギリシアの次、ローマの前」とイメージしがちだが、実際は本シリーズ第5巻で扱う「共和政ローマ期」と並行した時代だ。 だから、先進的なヘレニズム文明が後進のローマ人の社会や文化におよぼした影響も無視できない。たとえば、ギリシア人の科学や技術を学んだローマ人は、理論を実用化して道路や建物など、帝国のインフラを作り出したのだった。 ヘレニズムによるギリシア文化の普遍化という過程を経ずに、その後のローマ帝国の発展はあり得なかったのだ。 ※ヘレニズムが生んだ新たな宗教と神々の世界は〈「神との関係」で文明は変わる。アレクサンドロスがもたらした新時代、神々の融合が始まった!〉を、アレクサンドロスの生涯とカリスマ性については〈アレクサンドロスが、財産を失っても放った一言がカッコ良すぎる!〉をぜひお読みください。
学術文庫&選書メチエ編集部