【UFC】殿堂入りしたフランキー・エドガーが語ったこと「全力を尽くして戦った。後悔はない」──アイアン・アーミー・アカデミー開設へ
2022年11月の『UFC 281』で引退を表明した元UFC世界ライト級王者のフランキー・エドガー(米国)が「UFC殿堂入り」し、6月29日の『UFC 303』で式典とスピーチが行われた。そのスピーチとメディアインタビューでのエドガーの言葉を紹介したい。 【写真】殿堂入りのトロフィーを受け取りスピーチするエドガー キャリア17年で36戦のベテラン、フランキー・エドガーは、MMA24勝11敗1分・UFC18勝11敗1分という戦績を残し、UFC殿堂入りを果たした。 まだUFCで最軽量級だったライト級からフェザー級、バンタム級と3階級で戦い、2007年2月のUFCデビューからBJ・ペン、グレイ・メイナード、ベンソン・ヘンダーソン、ジョゼ・アルドらと幾度も死闘を繰り広げてきた。 通算試合時間はUFC史上2位の7時間57分10秒。「トロントの『UFC297』に解説で参加していたとき、スクリーンに自分が映し出されて、自分が殿堂入りすることを知ったんだ。本当に驚いたよ。まったく知らなかった」というエドガーは、今回のラスベガスでの式典で、「光栄です。殿堂入りを果たした人たちは、このスポーツの名士と言ってもいい人たちばかりで、その人たちの中に名を連ねるということは……ただ、殿堂入りを目指すことが私の使命だったわけではないと思う。私はただこれをやりたかった。楽しかった。この世界に入ったらチャンピオンになりたいと思ったし、常に勝ちたいと思った。そうして得た称賛はたいてい殿堂入りにつながる。だから、使命は達成されたと思う」と、語った。 また、「私はUFCに心血を注いできた。UFCに入ったとき、私は5勝0敗(※公式戦)だった。私のキャリアはUFCにあった。このようなキャリア、このような人生を歩むとは思ってもみなかったけど、そのためにとても努力した。こうした評価を得ること、そしてこのういった状況で隣にいる人たちに認められることは、すべてを意味する。永遠に記録に残るんだ。とても意味のあることだ。私はあまり感傷的なタイプじゃない。みんな『ベルトはどこだ?』って言うんだけど、ポッドキャストにアップして見栄えをよくしたりはするけど、高校時代のメダルを全部持っているような男じゃない。でも、『UFCの殿堂入り』は特別なことなんだ」と、その想いを語っている。 ◆オールアメリカンにはなれず配管工に。TUF1でライバル校にいたコスチェックを見た 12歳からレスリングを始めたエドガーにとってのMMAの原体験は、『UFC1』だったが、それはまだ自身と結びつくものではなかったという。 「確か中学1年生のときに、仲間の家で『UFC1』か『UFC2』を見たことを覚えている。レスラーを応援し、ホイス・グレイシーという小柄な男が、これだけの大男を倒しているという事実に畏敬の念を抱いたものだ。でもその後、UFCは一時休眠状態になり、少しタブー視されるようになって、非合法化しようとする政治家もいた」 トムズリバーイースト高校でレスリングで州チャンピオンになり、2000年に卒業したエドガーはペンシルバニア州クラリオン大学で政治学の学位を取得。しかし、大学でのレスリング選手としての経歴は、輝かしいものではなかった。 「大学4年でレスリングを終えた時、オールアメリカンになれなかったし、“ブラッドラウンド”(※勝てばオールアメリカンの試合)で負けてしまった。私はかなりショックを受けていしたし、まだそこから抜け出すための苦悩も残っていた。それでも成功したかったんだと思う」 レスリングで目標を達成できなかったエドガーだが、その同じ年に運命が介入した。 2005年、格闘技リアリティ番組『The Ultimate Fighter』(TUF)が放送され、UFCは一気に人気を獲得していく。 エドガーは最初のシーズンの展開を見守る中で、見覚えのある顔に気づいた。ライバル校でレスリングをしていた選手が『TUF1』に出場していた。 「レスリングの後、いつも何か特別なことをしたいと思っていた。『ジ・アルティメット・ファイター』の最初のシーズンがスパイクTVで放送されたのは大学4年のときで、仲間たちと座って見ていたのを覚えている。そこにジョシュ・コスチェックがいた。コスチェックはエディンボロ大学でレスリングをしていてオールアメリカンになっていて、私は(同じペンシルベニア州の)クラリオン大学にいたから、年に何回か彼らとレスリングをしていて、個人的に彼のことを知っていたんだ」 大学を卒業したエドガーは、翌週の月曜日から配管工として働き始めた。その翌日にはレスリング場に戻ってトレーニングしていた。そして地元には、MMAを取り組むのに必要なパートナーが身近にいた。エドガーはそのコーチに自身のミットを持ってもらうように頼み込んでいる。 「MMAを始めるまで、その類のトレーニングはしたことがなかった。ただ、知っている通り、優秀なボクシング・コーチのマーク・ヘンリーがいた。彼は私のボクシング・コーチとなり、最終的にはヘッド・トレーナーになって、私のキャリアにとても大きな影響を与えた。彼と私の好きなファイトスタイルのせいで、打撃に少し傾倒することになったんだ」